生年月日 | 1910年8月27日 |
---|---|
経歴 | 豊中中 - 関西学院専門学校 - 大連満倶 - 奉天満鉄 |
プロ野球球歴 | - |
在籍期間 | 1950(パ) |
在籍年数 | 1年 |
出場試合数 | 4試合 |
初出場 | 1950年5月17日 南海-阪急 8回戦 (藤井寺) 三塁 |
最終出場 | 1950年5月22日 南海-近鉄 10回戦 (藤井寺) 三塁 |
日本シリーズ出場 | - |
オールスター出場 | - |
メモ | 豊中中(大阪)では捕手として第14回甲子園大会に出場。関西学院専門学校を卒業後、満州に渡り大連満倶で投手、奉天満鉄では捕手として活躍した。50年にパ・リーグ審判員となるが、1年で退任。翌年からは針原、桑原とともにパ・リーグ記録員に。74年まで24年間務め、歴代2位の2881試合に出場した。息子の聖晴氏もセ・リーグ記録員として39年間で1923試合担当。親子合わせて5000試合近いスコアを記した。 |