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【球跡巡り・第15回】セ・リーグが産声を上げ ベイスターズが航海を始めた地 下関市営球場

 捕鯨や遠洋漁業の一大基地として栄えた本州最西端の港町・山口県下関市。水揚げ高が全国1位を誇る、フグの街としても知られています。古くから野球が盛んで、プロ野球誕生前の1931年11月に社会人野球の八幡製鉄所と、アメリカ大リーグ選抜の日米野球が行われています。また、今年球団創立70周年を迎える横浜DeNAベイスターズ発祥の地でもあります。

 横浜DeNAの前身、「まるは球団」が誕生したのは1949年11月(大洋ホエールズへ名称変更は1950年3月)。連盟名誉総裁の正力松太郎は、戦後のプロ野球の隆盛から二リーグ制を計画。これにより球界に空前の大変革が起き、チーム数は8から一気に15まで増えます。その波に乗ったのが、下関市で水産業を営んでいた大洋漁業(現マルハニチロ)でした。鯨の捕獲量規制などなかった時代。商業捕鯨で潤い、球団創立資金の約6000万円も容易に調達。市内に球団事務所を構え、セントラル・リーグに加盟しました。

 その球団創立とほぼ同時期に完成したのが下関球場です。市内には先述の日米野球を開催した長府球場がありましたが、戦時中に軍需工場建設のために閉鎖。新球場は向洋町の大畠練兵場跡地に、総工費2500万円で建設されました。そのうち2000万円は市民にも出資を呼びかけ、出資者による組合団体を結成して運営を試みます。1949年9月の市報「下関」には「全国のスイを集めて理想的な野球場を建設」とあり、「下関球場 株式募集」の見出しが躍ります。収容人員はなんと5万人!と記されています。

 1950年に8球団で産声を上げたセ・リーグは、4球団ずつに分かれて、平和台球場と大洋のお膝元である下関球場で開幕を迎えます。パ・リーグが3月11日に東京、大阪、福岡の3都市で一斉開催のアドバルーンを上げたのに対抗し(実際は西宮のみで開催)、前日の10日を開幕日と決めました。下関には大洋、国鉄、中日、阪神が集結。記念すべきセ・リーグ幕開けの試合は大洋対国鉄戦で、大洋のエース今西錬太郎が国鉄打線を2安打完封。2対0で大洋が勝ち、地元ファンを沸かせました。翌11日には松竹の岩本義行が、中日戦でセ・リーグ第1号となる満塁弾を放つなど、下関球場にはメモリアルな記録が刻まれています。

 出資者による球場運営は面白い試みでしたが、経営は振るわず初年度で頓挫。オープン1年後の1950年11月には早くも市に身売りをし、「下関市営球場」と名称変更されました。大洋はプロ野球にフランチャイズ制度が導入された1952年、ここを本拠地とします。とは言え、主催60試合のうち開催は18試合。しかも8試合は観衆1000人以下で、10月12日の松竹戦の発表はたったの200人。当時下関市の人口は約20万人で、地方都市でのプロ野球の興行には限界がありました。松竹との合併で大洋松竹となった1953年から2年間は、下関でわずかに5試合。再び大洋ホエールズとなった1955年、本拠地を川崎球場へ移転しました。

 それでも発祥の地である下関への恩義を忘れることはなく、年間数試合の公式戦とオープン戦を開催しました。今も語り継がれるダブルヘッダーがあります。3万人の観衆が詰め掛けた1960年6月29日の対巨人戦です(写真参照)。どちらも延長12回までもつれ込み、第1試合は沖山光利の送りバントの処理を巨人森昌彦が誤りサヨナラ勝利。続く第2試合は桑田武がサヨナラ本塁打を叩き込みます。6月26日の国鉄戦でもサヨナラ勝ちを収めており、セ・リーグ初の3試合連続サヨナラ勝利。前年まで6年連続最下位の屈辱に沈んでいた大洋でしたが、この勝利を挟み8連勝をマークした7月3日に首位に立つと、巨人との熾烈な終盤戦を制し、球団創設11年目で初のセ・リーグ優勝。そのまま日本一へ上り詰めました。

 球場は老朽化のため1985年で閉鎖、解体され、跡地には下関市立中央病院(現下関市立市民病院)が建設されました。現在の下関球場(オーヴィジョンスタジアム下関)は1988年7月、市の北郊の運動公園に完成。大洋から横浜にチーム名が変わっても、ここでオープン戦や公式戦を開催しました。そして、来る3月10日。横浜DeNAとなった2012年以降では初のオープン戦を行います。奇しくも、チームが船出をした70年前と同じ日に。しかも、左胸に「WHALES」の文字、肩口に「まるは」のマークが縫い込まれた球団創設時のユニフォームを身にまとうそうです。

 先人に敬意を表し、歴史を紡ぐ姿勢に拍手を送ります。セ・パ両リーグが誕生して70年の節目のシーズンも、まもなく始まります。

【NPB公式記録員 山本勉】

参考文献・市報「下関」第365号
写真提供・下関市総合政策部広報戦略課