【球跡巡り・第97回】名審判が記したスコアカード 福山市民球場(旧)
広島県東部に位置する福山市は広島市に次ぎ県内2位の人口45万人余りを有します。この街とプロ野球の関りは深く、一リーグ時代の1948年に県内初の公式戦を開催。1950年には広島球団のチーム初本塁打も刻まれています(球跡巡り第2回「福山三菱電機球場」に記載)。
最初に野球場の建設工事が始まったのは戦中の1941年。市内沖野上町地先の芦田川廃川地に福山護国神社を移設建立した際、その外苑に14000人収容の観客席を備えた野球場を含む運動公園を建設します。しかし、完成間近の1945年8月8日、空襲により戦災を受け全焼。新球場が晴れの日を迎えることはありませんでした。
初の公設野球場の完成は1951年秋でした。この年、広島県では広島市を主会場に第6回国民体育大会が開催され、福山市は高校野球の試合会場になりました。そこで市は350万円をかけて、前述の護国神社跡地に市民球場を建設。両翼88.4メートル、中堅109.7メートルの広さは当時としては標準的規模でした。
ここでの一軍公式戦は1952年から57年までの6年間、広島が全試合主催球団として28試合を行いました。福山市と広島市は新幹線なら20分余りで行き来できますが、当時は在来線で2時間以上かかっていました。プロ野球観戦が容易でなかった時代、年に4~5回、地元で開催されるカープのゲームは福山の野球ファンにとって楽しみだったことでしょう。ただし、1958年以降の開催はパタッと途絶えます。これは57年7月に広島市の中心部にナイター照明を備えた市民球場が完成し、カープはその本拠地に腰を据えて公式戦を戦ったからです。
一軍の足は遠のきましたが、その後も年に数試合は二軍のウエスタン・リーグが行われました。1955年にナゴヤ以西の球団で結成された同リーグは、当初は1チーム年間24試合でしたが、61年から48試合と倍増。それによりこの年から地方ゲームが始まり、7月23日の広島対阪神5回戦は福山市民球場で開催されました。
ウエスタンは移動距離が長いこともあり、当初は連盟の公式記録員を派遣せず、地元の新聞記者や球団職員が代行で務めました。広島市民球場(1957年までは広島総合グランド野球場)を本拠地としていた広島の二軍戦は、地元紙「中国新聞」のカープ担当記者が引き受けていました。ただし、地方開催では経費の観点からか帯同した球団職員が担当したようです。この試合の記録者署名欄には「広島カープ事業部 山本文男」と記されています。
山本文男――。コアなプロ野球ファンならご記憶の方もいるでしょう。1990年から96年までセ・リーグ審判部長を務め、プロ野球歴代3位の3564試合に出場。日本シリーズにも13回出場した、あの名審判です。
山本さんは1955年、17歳の時に広島に投手としてテスト入団。1年目から一軍マウンドを踏み、8月7日に17歳10カ月で挙げたプロ初勝利(対国鉄戦)は球団最年少記録として残ります。58年秋に4シーズンで現役を引退すると、広島の球団職員として勤務。62年からセ・リーグ審判員に転じました。
私は山本さんと1990年代にセ・リーグの審判員と記録員の間柄でした。30歳ほどの年齢差はありましたが、優しい人柄でフレンドリーに接してもらいました。昔話も多く聞かせてもらいましたが、記録員を務めた話は一度もされませんでした。
2025年のシーズンオフに二軍史を振り返る中で偶然見つけた“お宝スコアカード”。丁寧な筆跡で選手名が書かれ、スコアも正確に記入されていて、しっかりと準備をして臨んだことが伝わります。残念ながら山本さんは昨年8月鬼籍に入り、60余年前の記録員の思い出話を聞くことは叶いません。
90年を超えた日本プロ野球で、選手、審判員、記録員の全てで一軍戦の出場記録があるのは1960年代に西鉄で投手として活躍し、その後パ・リーグで審判員、記録員を務めた安藤敏雄さん(84)だけという貴重な記録です。ただし「一軍戦」の条件を外せば、山本さんがその第一号になります。しかも、選手として初出場した1955年から、61年の“ウエスタン記録員”を経て、62年の審判員デビューまでわずか8年間で3つの出場記録をクリアしていたのです。
初代福山市民球場は落成から15年後の1966年に取り壊されました。これは68年に広島県内での高校総体の開催が決まり、福山市も一部競技の開催地として体育館の新設が必須となり、その建設地として白羽の矢が立ったのです。そして68年7月、球場跡地に福山市体育館が完成。長らく市民が集う運動施設して活用されましたが、老朽化が進んだことや隣接地に新体育館が完成したことで2020年3月に閉鎖。その後解体され、今後は「まちづくり支援拠点施設(仮称)」等が建設される予定です。
2代目の福山市民球場は1974年に完成。84年から2010年までに23試合一軍戦を行いましたが、それ以降は16年間も開催が途絶えています。福山の野球ファンは久々の公式戦開催を待ち望んでいることでしょう。
【NPB公式記録員 山本勉】
| 調査協力・ | 冨沢佐一さん |
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| 参考文献・ | 「福山スポーツ史」上巻 福山市体育協会発行 「福山市議会史」第1巻 福山市議会発行 |
| 写真提供・ | 樹林舎 |
