【コラム】“1球”で絶体絶命の窮地を救った一軍復帰登板、オリックス・吉田輝星が「50試合登板」を目指す理由
2024年9月28日の楽天戦以来、574日ぶりの一軍マウンドはしびれる場面だった。4月25日の日本ハム戦(京セラD大阪)。オリックスが4対1と3点リードで迎えた7回、中継ぎ陣が乱れる。二番手の寺西成騎が一死満塁のピンチを招くと山田修義へスイッチ。しかし、山田は清宮幸太郎に押し出し四球で1点を失う。続く代打・淺間大基は遊飛に打ち取るも、二死満塁とピンチが続いた場面で岸田護監督が四番手として名前を告げたのは吉田輝星だった。
「ああいう場面のほうがいろいろ考えずに済むので良かったです」
打席には三番・レイエス。昨年、本塁打と打点の2冠に輝いた大砲に対して臆せず懐をえぐった。初球、内角高めへのシュート。レイエスのバットから放たれた打球は一塁ファウルグラウンドへ力のないフライとなる。25年2月のトミー・ジョン手術からの復活劇だったが、わずか1球で絶体絶命の窮地を救い、吉田は2年ぶりのホールドをマーク。岸田監督も「一気に向こうの流れを止めてくれた」と絶賛したが、4対2の勝利に貢献。オリックスは3連勝で単独1位を守った。
試合後のお立ち台では「1年間、想像していた空間なので盛り上がって良かったです」と笑顔。さらに「一昨年もよくこういう光景があったな、と。初球シュートで打ち取って、おいしくホールドをもらうという(笑)」と投球を振り返り、「まだ完全ではないと思いますけど、気温も暖かくなってきますし、ブンブン腕を振っていきたい。椋木(蓮)さんとか、すでに10試合くらい投げているので、僕も50試合くらい投げられるように頑張ります」と今後の活躍を誓った。
長期離脱を強いられるケガをしたのは野球人生で初めてだったという。「ずっとオフシーズンのトレーニングをしているような感覚。だんだん投げられるようになってきたり、体も変わってきて腕が伸びるようになったりとか、小さい当たり前のことに喜びながら過ごした1年でした」。過酷なリハビリに耐え続け、ブルペン投球を再開すると甲子園で旋風を巻き起こした金足農高時代以来の好感触を口にしていた。「プロに入ってから自分の中で見たことのないような球筋に戻りました。高校時代はこんな球筋だったな、というのを久しぶりに思い出した感じでした」。
春季キャンプも順調に過ごし、ライブBPで対戦した打者からの言葉を聞いて自信を得た。「(中川)圭太さんは1年目(日本ハム時代)のフレッシュオールスターで対戦して、香月(一也)さんはロッテにいるころにファームで結構対戦していたのですが、オリックスに入ったときにその2人に『年々ちょっと球質が落ちてきているかな』って言われていました。それが、今回は『球質が戻っていた』みたいな感じのことを言ってもらえたので。球質が変わったと本当に実感できたので、手術して良かったなと思っています」。
ファーム公式戦でも8試合に投げ、防御率0.00、奪三振率11.25と好結果を残し、4月25日に一軍昇格。そして、いきなり大仕事をやってのけた。お立ち台で口にした「50試合」はオリックス移籍1年目、24年の登板数だ。その数字に届けば、何よりも完全復活を果たしたことの証明になるはずだ。
【文責:週刊ベースボール】
