目の離せない投手戦となった第4戦は、北海道日本ハムが延長12回の末に1対0でサヨナラ勝ち。前日に続く2連勝で、巨人との対戦成績を2勝2敗のタイとした。
両チームとも投手陣が踏ん張り、初回からスコアボードにゼロが並んだ。9回には巨人、北海道日本ハムともに二死満塁の絶好機を築きながら無得点。その後は12回表まで両チームともヒットなし、無得点だったが、北海道日本ハムはその裏、この回先頭の小谷野栄一がライトにヒットを放つと、中島卓也の犠打失敗で走者が入れ替わって一死一塁。続く大野奨太の犠打が相手のエラーを誘い、一死一、二塁とすると、飯山裕志が左中間を抜けるタイムリーツーベースを放ってサヨナラ勝ち。しびれるような接戦に終止符を打った。
日本シリーズ史に残る激戦は、両チームの若き先発投手の頑張りによって生まれた。北海道日本ハムは高卒3年目の中村勝、巨人は同じく2年目の宮國椋丞。学年は中村が1つ上だが、この日の時点ではともに20歳という2人の投げ合いが7回まで続いた。中村は1回に一死一、三塁、宮國は4回に二死満塁のピンチを迎えたが、後続をピシャリ。回を重ねるたびにたくましさを増していくような投球は、両チームのファンならずとも頼もしく映っただろう。
中村は、マウンドを下りる7回まで無四球。加えて、3アウト目を三振で取るケースが多かった。先頭打者を出した3回は、併殺を取ってから好調の松本哲也を空振り三振。5回は前の打席で安打を打たれている實松一成を会心のストレートで見逃し三振、6回は二塁に走者を置いて四番・高橋由伸をまたもストレートで空振り三振と、相手の心を折る投球をして見せた。春日部共栄高時代に「埼玉のダルビッシュ」と呼ばれた中村。マウンド上の姿に偉大な先輩がダブって見えた。
宮國も負けていなかった。1981年、日本シリーズで日本ハムを破った時の胴上げ投手・江川卓氏の背番号を受け継いだ右腕は、要所を締める投球で7回まで無失点。被安打は3と、中村の5を上回ってみせ、今季の6勝から来季はさらに勝ち星を伸ばすことを予感させた。
若い2人に刺激されるように、両チームのリリーバーも奮闘した。9回は北海道日本ハム・武田久と巨人・山口鉄也が、ともに二死満塁のピンチをストレート勝負で切り抜けた。
勝負を決めたのが15年目の飯山だったことも興味深い。これまでは、どちらかといえば「守備の人」。スポットライトを浴びる機会は多くなかったが、だからこそ、この粘り合いの試合のヒーローにはふさわしかった。
それにしても、この1試合だけで何試合分の面白さを味わったことだろう。栗山英樹監督は試合後、「本当の勝負が明日から始まります」と言ったが、どんなに少なく見積もっても、コナミ日本シリーズ2012はあと2試合以上残っている。ファンが日本のプロ野球を誇りに思えた、10月最後の夜だった。
2012年10月31日(水)
札幌ドーム ◇開始 18:30 (4時間15分) ◇入場者 40,433
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 計 | H | E | |
読売 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 1 |
北海道日本ハム | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1x | 1 | 8 | 0 |
[巨] | 宮國、福田、山口、高木京、●西村(0-1) - 實松 |
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[日] | 中村、石井、武田久、増井、○宮西(1-0) - 鶴岡、大野 |