【記録員コラム】エッ!?こんな場所でもホームラン
特設WEBサイトでも告知の通り、日本プロ野球通算10万号本塁打が間近となりました。そこで今回はホームランにまつわる話題を綴ってみたいと思います。
記念の第1号は、プロ野球誕生から12試合目の1936年5月4日、甲子園球場でのタイガース対セネタース戦で、タイガースの藤井勇選手がランニング本塁打で記録しています。名古屋の前田喜代士選手が記録した第2号もランニング本塁打でした。初のフェンス越え本塁打は22試合目の5月22日、阪急対大東京戦で、阪急の四番・山下実選手が宝塚球場の左翼席へ叩き込んだ一打で、プロ野球延べ1748打席目のことでした。
戦前のプロ野球は本塁打が少なく1試合平均0.31本。ホームランは3試合に1本の希少なものでした。戦後「ラビットボール」と呼ばれる飛ぶボールが使用され急激に本塁打は増えましたが、それでも10000号到達には21年を要しました(記念本塁打表を参照)。10000号から20000号までは9年、20000号から30000号までは7年と徐々に量産ペースが向上し、それ以降はおよそ6~7年間隔で節目が刻まれています。
10万近い本塁打の中には野球場以外で記録されたものもあります。今では想像出来ませんが、1950年ごろまでは球場難に苦しみ「学校の校庭」を借りて公式戦を開催していました。柏崎高校(新潟)、高岡工専(富山)、福井市立福井高校(福井)、尾道西高校(広島)、長崎商業(長崎)の5校で計8試合を行い20本塁打が記録されています。スタンドはもちろん外野フェンスもないので、外野にロープを張り境界線を作り、それを越えたら本塁打と認めていたようです。この他にも1946年に4試合を行い9本塁打が出た石川県の金沢公設グラウンドは「陸上競技場」でした(金沢市営陸上競技場として現存)。一周400mのトラック上に作られたダイヤモンドで刻まれた一発も、プロ野球の記録を紡いでいます。
さあ、10万号のメモリアルアーチを放つのは誰でしょうか。当然、本塁打を量産する選手は確率が高まります。しかし、過去の10000号区切りの記念本塁打を見ると9人中5人は生涯本塁打40本以下の選手が名を連ねており、多くの選手にチャンスはありそうです。50000号から5回続く「左打者」が今回も打つのか、38年ぶりに「右打者」か。その舞台は70000号から3回続くドーム球場か、それとも澄んだ秋空の下の屋外球場か。
プロ野球史に永遠に残る一打を、どうぞ瞼に焼き付けてください。
【NPB公式記録員 山本勉】
プロ野球 記念本塁打
号数 | 打者 | チーム | 年月日 | 相手 | 球場 | 生涯本塁打 |
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1 | 藤井 勇 | タイガース | 1936.5.4 | セネタース | 甲子園 | 146 |
10000 | 渡辺 清 | 阪急 | 1957.7.19 | 近鉄 | 大阪 | 19 |
20000 | 井石 礼司 | 東京 | 1966.7.6 | 近鉄 | 東京 | 27 |
30000 | 基 満男 | 太平洋 | 1973.5.20 | 近鉄 | 平和台 | 189 |
40000 | ウイリアムス | 阪急 | 1979.6.28 | ロッテ | 西宮 | 96 |
50000 | 仲根 政裕 | 近鉄 | 1985.4.23 | 南海 | 藤井寺 | 36 |
60000 | 広永 益隆 | ダイエー | 1990.9.26 | オリックス | 西宮 | 34 |
70000 | 駒田 徳広 | 横浜 | 1997.9.9 | 巨人 | 東京ドーム | 195 |
80000 | ペタジーニ | 巨人 | 2003.9.14 | ヤクルト | 東京ドーム | 233 |
90000 | ブラウン | 西武 | 2010.4.4 | 日本ハム | 札幌ドーム | 21 |