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【球跡巡り・第91回】大相撲の名アナウンサーの胸に刻まれたホロ苦い思い出 豊橋市営球場

 愛知県の東三河地区における経済、交通の中心都市である豊橋市。JRと名鉄が同じ構内にある豊橋駅から北東へ15分ほど歩くと、豊かな緑に囲まれた豊橋公園があります。かつて吉田城(三河国)が置かれていた広大な敷地には陸上競技場やテニスコート、美術博物館などがあり、スポーツ、文化の中核地としてにぎわっています。豊橋市営球場もその一角にありました。

 球場の竣工は1948年8月。市のホームページに掲載の写真を見ると、20段ほどあるネット裏スタンドの上段には日よけの屋根が設置されていました。また公園の立地を活かし球場外周は全て樹木に囲まれ、ローカル球場ならではの趣もありました。

 ここに初めてプロ野球の球音が響いたのは完成から2カ月後の1948年秋でした。10月14日に8000人の観衆を集め中日対阪神戦が行われ、阪神が5対1で勝ちました。その後57年までの10年間に30試合の公式戦が行われましたが、22試合は中日戦。一般家庭にテレビが普及していなかったこの時代、地元球団のドラゴンズはファン拡大の観点からも積極的に試合を興行したようです。

 そんな中、パ・リーグ公式戦が4試合開催されています。1954年4月13日には大映対高橋戦が観衆わずか1000人の中で行われました。高橋はこの年からリーグに加盟した新興球団。3勝10敗と出遅れて迎えた14戦目でした。3月27日の阪急との開幕戦(西宮)で栄えある先発を任された滝良彦さん(2017年に逝去)は、この試合ではリリーフ登板。生まれ故郷でもある豊橋でのマウンドを生前に振り返っています。

 滝さんはこの2日前、11日の東映戦に先発して7回、127球を投げていました。したがって次の登板は17日からの南海3連戦と予想して試合前には多めのランニング。さらに35分間もフリーバッティングで打撃投手を務めました。「週末まで出番はないな」。のんびりと戦況を見つめていましたが、先発の服部武夫投手が1回で降板すると風向きが変わり8回裏からマウンドへ。4対5と1点のビハインドでの登板でしたが、9回表に高橋が1点を取り同点となり延長戦に突入します。

 滝さんは8回から10回まで無安打と好投しますが、11回裏にサヨナラ安打を喫し敗戦投手に。「今の投手は一週間に一度だけだが、当時は先発投手が翌日リリーフ登板も珍しくなかった」と回想。当時のプロ野球ではありふれた登板でしたが、高橋にとってチーム初のサヨナラ負けだったこともあり、滝さんの苦い思い出は生涯消えることはありませんでした。

 この試合はNHKがラジオで中継していました。実況を担当したのは当時23歳だった杉山邦博アナウンサー。大相撲実況の第一人者で94歳になった今も記者席から土俵を見つめています。新装のIGアリーナ(愛知国際アリーナ)で行われた大相撲名古屋場所(7月13日~27日)の直前に携帯電話を鳴らすと「僕は高橋の試合を豊橋でしゃべったことがあります」と70年以上前の記憶の扉が開きました。

「1953年にNHKに入局して、名古屋中央放送局に配属され2年目でした。当時の中継は9割が地元球団の名古屋(現中日)を中心としたセ・リーグで、パ・リーグの放送はときどき。その試合はサヨナラゲームでしたか?試合内容はもちろん、何をしゃべったかも全く覚えていません。覚えているのは試合が終わって豊橋駅から名鉄電車に乗って名古屋に帰るとき、ずっと先輩アナウンサーに実況内容を怒られ、膝で蹴られたことです。それだけは鮮明です」

 NHKでは新人が名古屋のような大きな局に配属されるのは異例でした。実際22人いた同期で杉山さん一人だけ。ゆえに、地方局を経験してからようやく名古屋に赴任した先輩の嫉妬もあったのでしょう。

「1時間近くきめ細やかな指導、厳しい注意をしていただきました。今ならパワハラでしょうけど、70年前はそういう時代でした。それだけ期待もされていたのでしょうから、今となっては感謝していますよ」。大相撲中継での数々の名実況から「相撲の杉山」と崇められたレジェンドの脳裏には、若き日のホロ苦い野球中継の一日が刻まれています。

 野球場は1996年に始まった「炎の祭典」と呼ばれる豊橋手筒花火大会の会場としても知られていましたが、建造から80年近く経ち老朽化も進み2024年春で閉鎖。球場解体後の跡地には多目的屋内施設(新アリーナ)が建設される予定でしたが、紆余曲折あり工事は一時中断。事業継続の賛否を問う住民投票が先日行われ、賛成票が反対票を上回りました。「賛成多数」の民意で二転三転した“新アリーナ計画”は決着。今後、事業は継続される見通しです。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・杉山邦博さん
佐藤啓さん
清水隆成さん
大森詢之さん
参考文献・「無名の開幕投手 滝良彦の軌跡」佐藤啓著(桜山社)
写真提供・豊橋市役所
清水隆成さん