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【球跡巡り・第12回】高度経済成長期の下町を明るく照らした「光の球場」 東京スタジアム

 東京オリンピック開催を2年後に控えていた1962年。まだ高層ビルもなかった東京の下町・荒川区南千住の一角に、巨大なランドマークが出現しました。総工費30億円を費やして完成した東京スタジアムです。

 球場を造ったのは映画界の重鎮、大映の社長で大毎球団オーナーの永田雅一。巨人、国鉄とともに後楽園球場を本拠地として公式戦を興行していましたが、「後楽園=セントラルだ。大毎が独自の球場を都心に持たないと、パ・リーグの人気はいつまでたってもセの後塵を拝するだけ」と建設費のほとんどを私財で賄い、自前の球場を完成させました。

 サンフランシスコのキャンドルスティック・パークをモデルに作られ、2本のポール型鉄塔に支えられた照明灯からはオレンジがかった最新のカクテル光線が放たれました。外野だけでなく、内野も緑の天然芝が覆い、日本の球場では初のゴンドラ席。地下には都内で五番目のボーリング場を完備…。下町の野球ファンも選手も誇れる、日本一デラックスな球場でした。19年間オリオンズ一筋でプレイした醍醐猛夫捕手は、澤宮優『東京スタジアムがあった』(河出書房新社)で<ロッカーも広かったですよ。隣のアルトマンとの間に空間があったので、小さな冷蔵庫を買ってね。そこにビールを冷やして、試合後に飲んでいました。リラックスして試合に臨める球場でした>と懐かしんでいます。

 豪華な付帯設備とは対照的に、グラウンドの作りには問題がありました。両翼90メートル、中堅120メートルは当時としては標準的な距離でしたが、左中間、右中間の膨らみがなく一直線に近かったのです。「野球盤と同じ」と言う選手もいたほどで、本塁打の出やすい球場でした。今もプロ野球史上唯一の記録として残る「イニング5者連続本塁打」が飛び出したのは、1971年5月3日のロッテ対東映5回戦でした。6対6で延長に入った10回表、東映の攻撃。2死満塁から代打作道烝が左翼席に叩き込んだのを皮切りに、大下剛史大橋穣張本勲が続き4者連続本塁打のタイ記録。そのあと「もう狙っていました。気持ちいいね」という大杉勝男の一発が出て、プロ野球新記録が達成されました。この時、前のイニングまでマスクを被っていた醍醐さんは「東京スタジアムじゃなかったら、1、2本は入っていないはず」と苦笑いで振り返っています。

 開場初年度はリーグ2位の約73万人を動員してにぎわったスタンドも、翌年以降は50万人を割り、6年目の1967年にはリーグ最少の28万人。1試合平均4000人と、ファンの足は遠のいて行きます。シーズン中は一般の草野球チームに球場を貸し出し、オフにはゴルフ練習場や、スタンドにアイスリンクを作りスケート場として営業を行いました。時を同じくして、永田オーナーの本業である映画界の斜陽化も深刻でした。

 そんな中、選手が奮起し優勝への機運が高まったのは、下町に居を構えて9年目の1970年。榎本喜八有藤通世山崎裕之アルトマンらを軸とした強力打線と、成田文男木樽正明小山正明らの投手陣が噛み合いペナントを独走。2位南海に10.5ゲームの大差をつけ、10年ぶりにパ・リーグを制しました。優勝が決まった試合では、永田オーナーもグラウンドになだれ込んだファンの手によって、何度も宙を舞いました。

 だが、優勝で斜陽映画界を背景にした財政難が解決するわけもなく、大映は翌1971年1月に球団経営から手を引き、ロッテに譲渡。同時にスタジアムも手放しました。主の去った球場は1972年限りで閉鎖、1977年に解体されました。日本の高度経済成長期に建設され、下町の暗闇を明るく照らし「光の球場」とも呼ばれた東京スタジアムは、わずか15年で幻のように消えてしまったのです。

 跡地には、五輪競泳の金メダリスト・北島康介選手が子供時代に泳いでいたプールもある荒川総合スポーツセンターが建ち、軟式野球場も2面確保され、野球を楽しむ人々の姿が絶えません。そのグラウンドからは東京スカイツリーを望むことができます。昭和から平成、そして新元号へ。時代が移ろいます。

【NPB公式記録員 山本勉】

参考文献・「東京スタジアムがあった」澤宮優・河出書房新社
デイリースポーツ(2016年4月20日)
写真提供・荒川区役所
野球チケット博物館

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