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【球跡巡り・第22回】プロ野球初のナイトゲームが行われた 横浜公園平和野球場

 カラフルなユニフォームをまとったベイスターズファンで賑わう横浜スタジアム。愛着を込めて“ハマスタ”と呼ばれるこの地の球史は長く、明治時代にまでさかのぼります。

 1876年、居留外国人のために横浜彼我(ひが)公園として竣工。公園の中央部には芝生が植えられ、クリケット場として使用されました。1896年5月23日には、旧制第一高等学校と横浜クリケットクラブ(米国人チーム)による我が国初の国際野球試合が行われました。この試合により横浜は「日本野球発祥の地」とされています。

 外国人居留地制度の廃止により1909年から公園は横浜市の管理下に置かれ、横浜公園と改称。1923年の関東大震災では球場を含む公園は甚大な被害を受けました。そこで、震災からの復興事業の一環として、1929年にスタンドを完備した本格的野球専用グラウンドを再建。完成したのが「横浜公園球場」です。1934年には、“野球の神様”ベーブ・ルースを擁する全米チームが来日し、沢村栄治らを擁する全日本チームとの日米親善試合が開催されました。

 プロ野球初のナイトゲームはここで行われました。終戦後、進駐軍に接収され「ルー・ゲーリックスタジアム」と改称していた1948年8月17日、巨人と中日が対戦。出場した人たちの中で、ナイトゲームを体験していたのは巨人の白石敏男中島治康両選手と、審判の二出川延明、筒井修の四人だけ(いずれも1936年巨人渡米時)。他は全くの初体験です。この日、横浜市の日の入り時刻は19時29分。連盟は照明に慣れにくい薄暮の時間を避け、空が真っ暗になる20時8分まで試合開始を遅らすという気遣いを見せました。

 野球ファンにとってもナイトゲームは垂涎の一戦。球場には2万人の観衆が詰めかけ、主催者は入りきれないファンのために、グラウンド内に特設シートを作って収容しました。

 ところが、ナイター設備といっても米軍の横浜駐留部隊員が余暇にベースボールを楽しむ程度のもので、薄暗いものでした。1回裏、巨人の青田昇は投球が見えにくかったのか、中日・星田次郎投手の速球を顔面に受け死球退場するアクシデント。8回裏には、巨人・川上哲治の右越え二塁打で、一塁走者の小松原博喜が本塁をつきアウトとなったプレイを巡り、トラブルに。川上の打球はワンバウンドしてスタンドに入り、跳ね返った打球を中日の右翼手・杉江文二が処理したようですが、照明が暗くて審判員は咄嗟に判定を下せなかったのです。試合は10分間中断。協議の結果、川上の打球はエンタイトル二塁打とし、小松原は三塁へ戻され試合再開となりました。

 この試合に巨人の一番打者としてフル出場した千葉茂二塁手は晩年、「夜間試合(ナイターという表現はまだなかったようです)と言っていたが、ホンマ、夜間の試合や。ボールがまるで見えんのやから。とにかく暗かった。それでも珍しさで超満員。川上の打球がエンタイトル二塁打かどうかでモメたが、暗いし、客は手を出すで、そりゃ分からんわな。外野手が打球を追ったら、ボールが3つも4つもあるので面食らったなんて笑い話もあったな。試合前の練習で拾い忘れたボールがいっぱいあったワケや。」と回想しています。

 一リーグ時代のナイトゲームはこの試合を含め4試合だけでした。選手たちはその暗さに困惑させられましたが、興行面では想定以上の集客に成功。各球場は二リーグ分立の1950年以降、続々とナイター設備の着工に踏み切っていきました。

 球場は1952年に接収が解除され横浜市に返還されると、1955年の改修にともない「横浜公園平和野球場」と改称。市民から平和球場の名で親しまれ、アマチュア野球を中心に利用されました。1970年代になると老朽化が進み、市民の間から建て替えを望む声が上がりました。1972年には球場再建推進協議会が約18万6000人の署名を集め、球場再建陳述書を横浜市長に提出。その後、曲折を経ながら1978年に現在の横浜スタジアムが完成しました。ハマスタ誕生から42年。日本野球発祥の地は来年、五輪野球開催という新たな歴史を刻みます。

【NPB公式記録員 山本勉】

参考文献・「私の愛した横浜野球史」花上喜代志・さいど舎
「おんりい・いえすたでぃ」週刊ベースボールONLINE(2015年9月7日)
写真提供・横浜市史資料室