【コラム】5度目の先発でつかんだプロ初勝利、日本ハム5月反攻の原動力となる伊藤大海
9回一死からクローザーの杉浦稔大が2本のソロ本塁打を浴び1点差に迫られる展開に球場はざわつき始めた。しかし、ベンチにいた男の表情は変わらない。杉浦が渾身の力を込めて最後の打者、グラシアルを投ゴロに打ち取ると、5度目の先発でつかんだプロ初白星に伊藤大海からようやく笑顔がこぼれた。
日本ハムのドラフト1位・伊藤は4月28日、ソフトバンク戦(PayPayドーム)に先発して6回102球を投げ、4安打無失点と好投。6回までに4点を奪った味方打線の援護を背に、伸び伸びと右腕を振った。この日は、前回登板で1980年の木田勇(日本ハム)が持つ23イニング連続奪三振の新人記録に並んだ熱投を封印。三振は3つのみだったが、スライダーとスプリットを低めに集めてゴロを打たせた。5四球を与えるなど毎回走者を背負いながらも2併殺と要所を締め、勝ち星を呼び込んだ。
開幕先発ローテーション入りを果たし、全5試合でクオリティースタート(6回以上、自責点3以下)を記録しながら勝利に恵まれない試合が続いた。4月21日のロッテ戦(ZOZOマリン)では勝ち投手の権利を手にしながら、9回に杉浦が逆転サヨナラ本塁打を被弾。それだけに、待望の初勝利に「ホッとしたのが一番ですね。でも、うれしい。最後まで粘れて良かったと思います」と安堵の表情でウイニングボールを握り締めた。
プロの世界に飛び込むまでも紆余曲折があった。駒大苫小牧高2年春に甲子園のマウンドに上がり、卒業後は系列校である東都大学リーグの名門・駒大に進学。1年春からリーグ戦(二部)デビューを飾るなど順風満帆に映った野球人生だったが、伊藤自身は手応えを感じられなかった。「このままで4年後にプロへ行けるのだろうか」。確固たる将来像を頭に思い描くことができず自問自答の日々。2016年10月、19歳の伊藤は悩んだ末に新たな道に進むために駒大の中退を決意する。
翌年4月、生まれ育った地元・北海道の苫小牧駒大に再入学。大学野球は規定により4年間8シーズンしか部員登録ができない。伊藤が苫小牧駒大で登録できるのは3年間6シーズン。さらに、規定により1年間は公式戦出場停止となるが、伊藤はその1年を有効活用した。公式戦出場解禁までに、どういう姿になっていたいのか。未来の自分を想像し、ランニング、フォームの確認、体幹トレーニング、ウエート・トレーニングのやり方を一から見直して徹底的に鍛え抜いた。すると、それまで140キロ台だった直球は150キロ超に進化。縦横のスライダー、スプリットも威力が増した。ドラフト注目株となり、昨秋のドラフトで日本ハムから1位指名。04年に札幌へ本拠地を移転した日本ハムにとって球団初の“道産子1位”でもあった。
「ここからが本当のスタート。これからどんどん成長して、1試合でも多くチームのために投げていきたい」
最下位に沈み、コロナ禍に揺れる日本ハムだが、伊藤が5月反攻への原動力となる。
【文責:週刊ベースボール】