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【球跡巡り・第45回】単独本盗2を含む1試合6盗塁が刻まれた 門司市営老松球場

 本州と九州の結節点に位置する福岡県北九州市。関門橋が架かる門司港地区は近年、レトロ観光事業で注目を集めています。その門司港に暮らす人々の憩いの場となっている緑豊かな老松公園には、昭和20年代にわずか7年間だけ存在した門司老松球場がありました。

 軍の兵器製造所を経て公園になっていた場所に球場が完成したのは1948年春。4月25日にこけら落としの阪急対巨人戦を開催し、1万5000人を集客。巨人の先発は藤本英雄で、レフトは平山菊二。ともに関門海峡を挟んだ対岸の山口県下関市出身とあり、スタンドから大きな声援を浴びました。試合は阪急が誇る二枚看板、天保義夫今西錬太郎両投手の継投が決まり、5対2で快勝しました。

 6月10日には大映と東宝の映画俳優による親善野球が行われました。当時はまだ一般家庭にテレビは普及しておらず、映画文化が隆盛を誇っていました。大映からは伊沢一郎、小林桂樹。東宝からは斉藤英雄といった名俳優の参加に、球場は賑わいました。北九州市は近年、映画やドラマの撮影が多く行われ「映画の街」としても知られていますが、その系譜はこの時代から繋がっているのでしょうか。

 プロ野球史に残る記録も刻まれています。1952年6月3日の大洋対名古屋9回戦で、名古屋の山崎善平外野手が1試合最多となる6盗塁を決めました。七番レフトで出場した山崎は、3回に安打で出塁すると次打者の2球目に二盗。内野ゴロで三進した後、大島信雄が打者のとき単独ホームスチールを試み成功。7回にも安打で出塁し、次打者の初球に楽々二盗。内野安打で三塁へ進むと、打者牧野茂の3球目に単独の本盗を再び成功させました。

 この時点で当時プロ野球記録の4盗塁に並んだ山崎は、9回に四球で出塁すると次打者の初球に二盗。息もつかずに2球目で三盗を決め、1試合6盗塁の新記録をいとも簡単に作りました。この記録は1989年10月15日の広島対中日26回戦で、広島の正田耕三選手が6盗塁を決めるまで、37年間も単独のプロ野球記録でした。昨今の走塁事情を鑑みれば、おそらく今後も破られることのない数字でしょう。また、1試合で本盗2はこの試合の山崎を含め3回ありますが、山崎以外はどちらも走者一・三塁でのダブルスチール。単独本盗を2回決めたのはこの試合の山崎だけという貴重な記録です。

 開設当初は門司野球協会によって運営されていましたが、1950年8月から門司市(当時)に移管され市営球場に。社会人の都市対抗野球で全国制覇を果たした門司鉄道管理局の試合も多く行われましたが、市内大里地区の発展に伴い、そこに体育施設を集中することが決定。老松球場はわずか7年間の運用で、1954年に撤去されました。跡地は1958年に門司海底国道トンネル開通を記念して行われた「世界貿易産業大博覧会(門司トンネル博)」の会場を経て、再び公園として整備されソフトボール場が併設されています。

 中日スポーツ記者の堤誠人さん(52)は老松公園の近くに実家があり、高校卒業までそこで暮らしました。「プレイをするのと同じぐらい、野球の記録にも興味がありました」と振り返る少年時代。山崎選手の6盗塁が地元の球場で達成されたことも、小学生時代には知っていたそうです。

 「山崎さんの記録は、今も大里にある野球場で記録されたと思っていました。小学生の時、球場に隣接する競輪場内にあったトラックで陸上競技会があり、“山崎さんはあそこで6盗塁を決めたんだ!”と思いながら見ていました」と回想します。今回、私とのコンタクトで昔の門司球場が「犬の散歩コースだった」老松公園にあったと知り、「いつもソフトボールをやっていた場所ですよ。まさか、あんな小さな公園にプロ野球をやった球場があったなんて夢にも思いませんでした…」と仰天しました。

 小学生時代、山崎選手もプレイをしたと思いを馳せた地は勘違いでした。その代わり、無邪気にボールを追い駆け回った近くの公園こそ、球史に1ページを刻んだ場所だったのです。「私がプロ野球選手と同じ場所でプレイしたのは、平和台、小倉(現北九州)、八幡大谷に桃園球場だと思っていましたが、老松球場も加わりましたね」。電話口の声が弾みました。

 球場閉鎖からまもなく70年。近くの住人でも老松公園に野球場があったことを知る人は少なくなりました。人々の記憶から老松球場が薄れていっても、山崎選手が打ち立てた「1試合6盗塁」は、これからも球史に記され続けます。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・堤誠人さん
参考文献・「プロ野球記録大鑑」 宇佐美徹也
「門司市史第二編」門司区役所