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【コラム】史上54人目、球団生え抜き初の2000安打。新人時代から野球に一途だった西武・栗山巧

 打撃職人らしく、節目の安打もうまく流し打った。9月4日の楽天戦(楽天生命パーク)。9回一死で打席に立った西武・栗山巧はカウント1-2から牧田和久のカーブに惑わされずに左前にはじき返した。これが史上54人目、球団生え抜きでは初の2000安打。塁上で喜びをかみ締めた背番号1に球場のファンから温かい拍手が降り注がれた。

 「今シーズン中に達成したいと思っていましたので、よかったです。ホッとしています。相手が(元同僚の)牧田だったので、ホームランを打ちたかったんですけどね! おかわり(中村剛也)が花束を笑顔で持ってきてくれたので、なんだかお互いぎこちなかったですけど、ありがとう! と言って花束を受け取りました。今日の試合でも、ライオンズ側のライトスタンド、それから三塁側にも僕のタオルを掲げてくれている方々の姿が目に入りました。あの風景を見て、本当にうれしさが込み上げてきました」

 2002年、ドラフト4巡目で育英高から西武に入団した栗山。当時二軍打撃コーチだった田邊徳雄三軍統括コーチは新人時代の栗山の印象について「体の強い選手」だったと語る。「連続ティーにしても何にしても、振り続けることでへばっていた記憶がありません。ルーキー当時から選球眼が良くて、ボール球はあまり振らなかった。『ボール半分外れています』とか、一丁前に言ったりしてね(笑)。それだけ球が見えているのかな、とも思いました」。

 上半身と下半身のバランスをよくするために1年目はティー打撃でのフォーム固めに徹した。2年目のキャンプでは1日に最低700~1000スイング。特守があるときは700スイング、ないときは1000スイングだったが、栗山はそのノルマをやり遂げた。また、田邊コーチの脳裏に焼き付いているのは試合で結果が出なかったときの表現の仕方だという。あからさまに悔しいという気持ちを前面に出し、試合後はともにひたすら打撃練習を繰り返した。

 努力は実を結ぶ。3年目の04年にはファームで打率.338をマークし、シーズン最終戦、9月24日の近鉄戦(大阪ドーム)で初めて一軍昇格。そのまま九番・左翼でスタメン出場すると第3打席で小池秀郎から待望のプロ初安打を放った。

 「やはり、1本目はすごく印象に残っていますね。シーズン最終戦にお試しで僕が呼ばれて。良い選手もたくさんいましたから、あのとき1本出てへんかったらどうなっていたんやろうと思います。ダメだったら、次の年にチャンスをもらえないでしょうからね」

 翌05年、春季キャンプで一軍に抜てきされた栗山はシーズンで84試合に出場を果たす。背番号「1」になった08年にはレギュラーに定着して最多安打を獲得、日本一にも貢献。以降、中心選手として安打を打ち続けたが、野球への一途な思いは新人時代から変わることがなかった。

 「たまたま自分が球団生え抜きでは初めてになりましたが、偉大な大先輩たちの背中を追ってきた結果だと思います。入団からずっと応援してくれているファンの方、最近応援し始めてくれたファンの方、さまざまな方がいらっしゃると思いますが、皆さんからこれからも応援していただけるような選手であり続けたいです」

 大記録に到達した翌日の楽天戦(楽天生命パーク)では2安打をマーク。栗山にとって、もはや2000安打は通過点だ。20年目のベテランはこれからも愚直に、安打を1本ずつ積み重ねていく。

【文責:週刊ベースボール】