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【記録員コラム】「プロ野球在籍審判員名簿」を公開します

 2022年は日本に野球が伝来して150年の節目です。NPBの前身である日本職業野球連盟(NPBL)が結成され、公式戦が始まったのが1936年。今年で87年目を迎えます。この間に在籍した選手、監督、コーチは約9400人いますが、審判員はわずか240人です。この度、在籍全審判員の詳細データがまとまりましたので公開します。

 1936年4月29日。米国遠征中の巨人を除く、大阪タイガース(阪神)、名古屋、阪急、大東京、金鯱、東京セネタースの6球団が甲子園球場に終結し、3試合を挙行。これが公式戦の起点とされ、審判員は澤東洋男、川久保喜一、金政卯一の3人でした。澤と金政が大学野球で、川久保は高校野球で監督経験があることから、初期の審判員は学生野球の元指導者で結成されたようです。その後、島秀之助津田四郎桝嘉一らプレーヤーとして名を馳せた人物が転身。一リーグ時代の審判員24人のうち8人はプロ野球の監督経験者でした。

 発足5年目の1940年には驚きの“人事”が行われています。1937年にイーグルスとして誕生したチームはこの年、山脇正治監督でスタートしましたが6月9日のライオン戦の翌々日に監督交代を発表。新監督は何と、前日まで審判員としてグラウンドに立っていた澤東洋男でした。経緯は不明ですが、山脇と澤は早稲田大野球部の先輩、後輩の間柄でしたから、何らかの因果はあったのでしょう。プロ野球の歴史で、シーズン中に審判員から監督への鞍替えはこれが唯一。澤にはこの年、審判員として59試合の出場記録と、イーグルス(10月6日、黒鷲と名称変更)監督として26勝38敗3分け、勝率.406の戦績が残ります。

 二リーグへのエクスパンションで、チーム数が8から15に倍増した1950年。パ・リーグは新規で13人を採用しました。これ以降、選手から審判員に転じて名を残した人物が多くいます。岡田功は1950年大阪タイガース(阪神)に入団し6年間在籍しましたが、一軍公式戦で放った安打は1本でした。1957年セ・リーグ審判員になると、1992年に引退するまで36年間一線で活躍。日本シリーズ出場21回、出場試合数3902試合はともに歴代1位で、不倒の記録と言われています。

 橘髙淳は阪神で3年間プレーした後、1985年からセ・リーグ審判員になりました。2010年のセ・パ審判員統合を経て現役として活躍中で、今シーズン自己の持つ在籍最長記録を更新する38年目を迎えます。また、一軍公式戦には1987年から出場しており、今年の出場で前出の岡田功が持つ「36シーズン一軍公式戦出場」の最長記録に肩を並べます。

 近年になり審判員の採用、育成システムが確立されました。プロ野球審判員になるには「NPBアンパイアスクール」に入校した後、研修審判員を経て育成審判員にステップアップし、そこで実績が認められることが必須です。正式採用されると二軍戦で研鑽を積み、晴れて一軍戦デビューとなります。昨シーズン、青木昴、水口拓弥がアンパイアスクール卒業生として初めて一軍公式戦で球審を務め、新たな扉を開きました。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・野球殿堂博物館
写真提供・苫小牧市美術博物館
野球殿堂博物館