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【球跡巡り・第60回】NHK高校野球中継の名解説者が語る 米子湊山球場

 鳥取県米子市は戦国時代末期の1591年頃に築かれた米子城を中心に、城下町として繁栄をみました。五重の天守閣と四重櫓で作られた名城は取り壊され城跡となっていますが、その三の丸の場所に2020年秋まで山陰の球史を彩った米子市営湊山球場がありました。

 城跡がある湊山一帯が1951年に都市公園法に基づき公園になったのを機に、1953年に完成。両翼91.4メートル、中堅119メートルの広さで、初のプロ野球公式戦が行われた1954年9月4日の高橋対近鉄戦には1万5000人を集客。当時の山陰では1、2の規模を誇る野球場で、1977年までの間に6試合の公式戦を開催しました。

 歴史に幕を下ろした湊山球場から、数々の思い出が蘇るはNHKの高校野球中継の解説でおなじみの杉本真吾さん(57)です。野球少年だった杉本さんが、初めてプロ野球を見たのはこの球場で小学4年生の時でした。「オープン戦で広島が来ました。ネット裏で見ましたが、ピッチャーの外木場さんの投げる球がとにかく速かったですね。でもそのボールを打者は簡単に打ち返すんです。プロ野球はスゴイなあと思いました」。50年ほど前の衝撃が、今も鮮明に脳裏に焼き付いています。

 プロ野球選手が踏みしめたグラウンドで、初めてプレーした時の喜びも忘れられません。「小学生の時に他県のチームも集まって大会がありました。バックスクリーンの前にもホームベースを置いて2面で行いましたが、憧れの場所に立てて嬉しかったなあ」。石座席の内野スタンドに、スコアボードやベンチ。フェンスに囲まれたグラウンドは夢の舞台でした。

 「野球人生の集大成もここに刻んだ」と言います。米子東高校3年の夏、捕手として出場した予選大会でした。「米子東は甲子園から20年以上も遠ざかっていました。前年は決勝戦で境高校に涙。だから、最後の夏は勝ち切ることしか考えていなかった」と振り返ります。予選は毎試合苦戦を強いられ、「棺桶に片足を入れた状態から粘りに粘って」勝ち進み、決勝戦へ。相手は甲子園初出場を目指す鳥取城北高校でした。

 試合は接戦で、3対1と米子東が2点をリードして9回表へ。甲子園まで、あとアウト3つ。ところが1点を返され、なおも2死一・三塁と長打で逆転のピンチを招きます。「チームは予選5試合で12失策と守備が乱れていました。最後の打球はショートゴロでしたがファンブルしたんです。ヤバい、と思いましたよ(笑)。しかし、素早く拾って一塁へ送球して間一髪でアウトでした」。米子東にとって1960年以来、23年ぶりの甲子園出場が決定。スタンドを埋め尽くした級友の、そして米子市民の歓喜の姿が今も忘れられません。「湊山球場であの時以上の盛り上がりは、その後もなかったでしょう」。学校に集まった寄付金は、通常の3倍にあたる1億円に達したと伝わります。

 甲子園大会の解説者になって17年。球児たちを温かいまなざしで見守り続けます。「大学、社会人で野球を続けるのは、ほんの一握りです。多くの選手は高校野球でクライマックスを迎えます。私もそう思って最後の大会にのぞみました。今振り返っても湊山球場で優勝を決めたことが、人生で一番嬉しかった出来事です」。マイクを通して贈るエールの源は、自らが体現した湊山球場での夏にあるように思えます。

 落成当時は山陰を代表した球場にも、時代の流れが押し寄せます。1990年には新たに市民球場が完成。球場周りに車道があり、打球が飛び出す危険性から2000年代に入ると硬式野球での使用はなくなりました。「スタンドやベンチなどの施設も、完成時から一度も改修されなかったと思います。城の石垣がせり出した右翼席に、グラウンドへ入る時にくぐる防空壕のようなトンネルが忘れられません。最後はおじいちゃんのような姿になった球場でした…。でも、全国津々浦々の球場に行きましたが、一番好きな球場は湊山ですね」。最後までノスタルジックな出で立ちを残した故郷の球場に、思いを馳せます。

 2020年9月20日に「ありがとう湊山球場」の記念事業で一般開放され、その2日後に閉場しました。跡地は史跡米子城保存活用計画の下、数年後に「米子城跡三の丸広場」として生まれ変わります。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・杉本真吾さん
入江陽介さん
写真提供・入江陽介さん