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【球跡巡り・第62回】「10・19」今なお語り継がれる名勝負の舞台 川崎球場

 多摩川を挟んで東京都と隣接する神奈川県川崎市は、154万人余りが暮らす政令指定都市です。JR川崎駅から東へ10分ほど歩いたところにある富士見公園の一角に、大洋(現DeNA)やロッテ(現千葉ロッテ)の本拠地として、あまたの名勝負を球史に刻んだ川崎球場がありました。

 戦前からあった富士見球場の跡地に新球場が完成したのは1951年。外野に天然芝が敷かれ、選手や審判員用の浴室を完備。内野スタンドはコンクリート製と、当時としては立派な施設でした。1952年4月3日の大映対東急戦でプロ野球の使用が始まると、1954年にはこの年パ・リーグに新規加盟した高橋ユニオンズが本拠地としました。それに合わせるかのように6月にナイター設備も完成。1955~77年は大洋、1978~91年はロッテと、計3チームが本拠地として使用し、2453試合の一軍公式戦を開催しています。

 ここを本拠地にしたチームの唯一の優勝は1960年の大洋でした。1955年に移転して来た大洋はそれまで5年間ずっと最下位でしたが、この年に就任した三原脩監督の“三原マジック”とも言われる名采配により、球団史上初のリーグ制覇。優勝を争った巨人との試合では、球場最多記録となる観衆3万3000人を4度記録しました。リーグ優勝の際には、川崎球場から市役所まで優勝パレードも行われ、選手と市民が一体となる盛り上がりを見せました。

 プロ野球で歴代11位の興行数を誇る球場には数々の名シーンが刻まれています。1960年には大洋が初優勝に向けて気勢を上げる中、島田源太郎投手が8月11日の阪神戦でプロ野球6人目の完全試合を達成。1962年7月1日の大洋対巨人戦では、巨人の王貞治内野手が初めて一本足打法を披露。その王選手は1976年に通算700号本塁打をここで放ちました。パ・リーグに目を移すと、1980年5月28日のロッテ対阪急戦でロッテの張本勲外野手が、史上初の通算3000安打を本塁打で達成。ロッテ時代の落合博満内野手は3度の三冠王を獲得しました。そして、今なお語り継がれているのが「10・19」と呼ばれる、1988年秋のロッテ対近鉄のダブルヘッダーです。

 この年のパ・リーグは近鉄と西武が終盤までつば競り合い。近鉄は残り2試合でマジックを2とし、ダブルヘッダーでの連勝が優勝の絶対条件でした。それ以外なら、全日程を終えていた西武の4連覇が決まります。いつもは閑古鳥が鳴くと言われた川崎球場が、この日ばかりはすさまじい熱気に包まれました。近鉄は第1試合に逆転勝ちし、マジックを1としました。続く第2試合は近鉄が8回に1点を勝ち越しますが、その裏同点に追いつかれ4対4で延長戦へ。10回表、近鉄が無得点で攻撃を終えた時点で試合開始から3時間57分を経過。当時は4時間を超えて新しいイニングに入らない規定があり、事実上優勝が消滅しました。それでも近鉄はその裏を抑え、時間切れ引き分けに。2試合の試合時間合計は7時間33分。全国のお茶の間をもくぎ付けにした「パ・リーグの一番長い日」に勝る、川崎球場の伝説はありません。

 ロッテは1991年限りでここを去り、千葉へ移転します。その後はアマチュア野球をメインに使用されましたが、完成から半世紀近く経ち、老朽化もひどく耐震性の不安も明らかになり、21世紀を待たずに2000年3月末で閉鎖されました。スタンドが撤去された後、グラウンドは何度か改修が行われ、今は長方形型の球技場に。名称も2015年4月から「富士通スタジアム川崎」と変更され、主にアメリカン・フットボールが行われています。

 新春の1月7日。川崎球場時代から残っている照明塔2基の解体を前に、最後の点灯が行われると聞き足を運びました。2000年3月、プロ野球最終試合として行われた横浜対ロッテのオープン戦の記録員を担当して以来、23年ぶりです。左中間から右中間にあたる部分の外野フェンスと金網が、往時のまま残されていました。風雨にさらされたラバーはボロボロで、何度も書き重ねられた企業広告の文字も浮かび上がっていましたが、70年の歴史を感じるとともに、球場遺構を残そうとする関係者の熱意が伝わって来ました。

 午後4時40分。日が落ちて、夕暮れの空に照明塔の柔らかな明かりが灯りました。現在のLEDライトは瞬時に全照されますが、昔の照明は時間をかけてじわじわと明るくなります。会場に集まった800人がそれぞれの思いを胸に、消え去る昭和の面影を見つめていました。照明塔は撤去されますが、川崎球場に刻まれた数々の球史はこれからも消えることはありません。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・松本秀夫さん
富士通スタジアム川崎
写真提供・富士通スタジアム川崎
野球チケット博物館

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