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【球跡巡り・第77回】プロ野球開催最北端の街にあった 北見市営球場(旧)

 北海道の北東部に位置する北見市。玉ねぎの生産量が日本一で知られるこの街で、プロ野球が初めて開催されたのは1953年でした。7月12日の函館千代台球場から始まった東急対大映の北海道シリーズ。上砂川、小樽、釧路と転戦した両チームが一軍公式戦開催では最北端となる地にやって来たのは7月18日でした。

 いつもは静かな国鉄北見駅前に1000人を超す人だかりが出来ていました。中でも地元のカフェ「ホームラン」の女性陣は、ボールとバットを染め抜いたお揃いの浴衣姿でお出迎えと熱が入っていました。釧路から汽車に揺られ選手、審判員らの一行が到着したのは午後4時56分。改札を出た選手たちの中で注目を集めたのは大映のスタルヒン投手でした。幼少期から中等学校までを旭川市で過ごした郷土のスターに、ひときわ大きな歓声が送られました。

 この街における球史は古く、北見市が市制施行される前の野付牛(のつけうし)町時代の1919年ごろには町内の青年らが三井、鉄友、暁星、実業などのチームを作り、町の中心部に設けられた町営グラウンドで盛んに対抗試合を行っていました。その代表選手で結成された「野付牛ナインスター」は道内でも屈指の強豪チームで、1926年8月に小樽市で開催された全道実業野球大会(のちの社会人野球大会)では決勝戦までコマを進め、函館太洋倶楽部と対戦。2対5で惜しくも敗れましたが準優勝を果たしました。

 1927年5月に同チームが解散すると、中等学校の野球で盛り上がります。現在の北見市立北小学校の場所にあったグラウンドで、地元の野付牛中学と網走中学がしばしば対戦。野獣VS猛(網)獣というあだ名にふさわしい猛烈なヤジの応酬の中、熱戦が展開されたそうです。そのグラウンドがあった所に1947年8月に新装されたのが初代の北見市営球場です。

 総工費40万円で地元の建設会社山上組が3カ月の工期で完成させた野球場は、バックネット裏と一、三塁の内野に7段ほどの木製スタンドがありました。両翼94.5メートル、中堅は106.7メートル。一軍公式戦開催に先立ち1953年5月には国鉄対巨人の二軍戦を行いましたが、グラウンドコンディションが不十分で不評を買いました。そこで市はグラウンド整備に手慣れている北見北斗高校野球部の選手たちの協力も得て、初の一軍公式戦開催に至りました。

 当時の地方遠征では両軍の選手、監督を招いての前夜祭開催が恒例行事でした。この北海道遠征では親会社が映画事業を手掛ける大映が帯同するとあって、2時間弱の映画も上映。その後に余興として両チーム選手による歌合戦が行われたそうですから、70年近く前のプロ野球は今よりも格段に興行色が強かったことが伝わります。

 迎えた7月19日。午前9時開門にもかかわらず、4時前には一番乗りで北見市から20キロ以上離れた留辺蘂(るべしべ)町から男性が自転車でかけつけました。7時過ぎには多くのファンが集まり、開門が1時間早められます。10時過ぎには内野席が満席。イースタン・リーグ開催時の7000人を上回り、開場以来最多の10000人を集客したと主催の北見新聞は伝えています。(スコアカードに残る観衆は8000人)

 観衆のお目当ては北海道に縁のあるスタルヒン投手のピッチングでしたが、5日前の7月14日の上砂川球場の試合で完投しており、この試合の大映先発は藪本和男投手。プロ野球開催最北の地に、191センチの長身右腕が立つことはありませんでした。試合は初回に大映が2点を先制すると、4回には島田雄三内野手が左中間の場外へ2ラン本塁打。9回にも瀧田政治内野手が右中間の場外へソロアーチを架けました。大映が7対0で勝利とワンサイドゲームになりましたが、普段見ている高校野球ではめったにお目にかかれない場外弾が2本も飛び出したとあり、観客は満足顔で球場を後にしました。

 結局、北見市営球場(旧)でのプロ野球開催はこの1試合のみ。普段は市内唯一の野球場として市民に親しまれていましたが、1950年代後半に持ち上がった総合グラウンド新設計画に伴い1960年10月末をもって閉鎖されました。跡地には北見北小学校が建てられました。

 新球場は市営競馬場があった場所に1963年にオープン。正式名称は2代目となる北見市営球場ですが、地元では地名から東陵公園野球場と呼ばれています。ここでのプロ野球は1960年代にセ・パ各リーグの公式戦を1試合行いましたが、1970年以降の開催はありません。プロ野球の球音が途絶えて50年以上。一軍公式戦開催最北の地に、再びプロ野球の白球が飛び交う日は来るのでしょうか。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・北見市立図書館
参考文献・北見新聞(1953年7月19、21日)
北見日日新聞(1953年7月21日)
日刊北見新聞(1947年8月24日)
写真提供・北見市立図書館