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【球跡巡り・第80回】風情ある温泉街にあった野球場 上山田球場

 北陸新幹線を上田駅で下車。しなの鉄道線に乗り換え千曲川沿いを20分ほど進むと戸倉駅に着きます。その駅舎の対岸には、明治時代に開湯した戸倉と上山田の2つの風情ある温泉街が並んでいます。

 1903年開湯の上山田温泉がある上山田村(1949年11月に町制施行。2003年9月から千曲市)には、1924年に開湯20周年を記念して「第1次グラウンド」が造られました。この施設はその後、陸軍転地療養所の建設地となり廃止されましたが、1935年10月に別の場所に地元住民1万2000円の寄付を集め「上山田温泉第2次グラウンド」が完成。ここは戦時中に住民らの野菜畑になり荒れていましたが、終戦後の1950年に大規模改修を行い「上山田球場」として復元されました。

 温泉街の一角にあったこの野球場で唯一のプロ野球公式戦が開催されたのは1952年夏。8月15日から後楽園で3連戦を戦った毎日と大映がそのまま来町。19日に5000人の観衆を集めて行われ試合は両チームで計27安打の打撃戦となり、大映が10対7で勝ちました。

 小さな街に初めてプロ野球がやって来た―。地元ではさぞ大きく報道されたと思いきや、全国紙の地方版も、地元紙も試合結果を載せただけでした。頼れる資料はNPBに残るスコアカードだけ。そんな苦境の中で巡り会えたのが、上山田在住で医師の吉松俊紀さん(54)です。父俊一さん(91)は日本屈指のスポーツドクターとして多くのプロ野球選手とも交流がありました。

 私が上山田球場で行われたプロ野球について調べていることを伝えると、「父から上山田でプロ野球が行われたと聞かされたことがあったのですが、“まさか上山田で…”と思っていました。本当だったのですね」と驚きの声を上げました。その後、旧知の野球関係者と連絡を取り、その試合を知る二人を紹介してくださいました。こうして72年前の扉が開いたのです。

 前島美澄さん(95)は当時23歳。試合前のセレモニーで花束贈呈の大役を務めました。「ええ、覚えていますよ。大きな球場で、何人かのお友達と選手に花束を渡しました。野球が行われたのは夏でしたよね。私が夏用の薄手の着物を持っていなかったので、母がこの日のために着物を縫ってくれました。何でもできる母でした」。亡き母の姿も思い浮かべ、若き日の記憶をたどりました。

「父は野球が大好きでした。父の姿が見当たらないので母が探しに行くと、広場で仲間たちと野球をやっていたことがよくあったそうです。115年ほど前の写真になりますが、小学生の時に着物姿で野球の道具を持つ父の写真がありますよ。」写真が撮られたのは1909年。この地では開湯間もないころから野球が行われており、1924年に初代のグラウンドが造られたことも納得できる貴重な1枚です。

「試合前日に選手たちが泊っていた圓山荘という旅館に押し掛けました」と昔日の思い出を語るのは、当時中学3年生だった今井史人(ふみと)さん(86)です。旅館の庭先で、ある選手からふざけてホースの水をかけられますが、めげずに突入しました。

 野球は小学生のころに“三角ベース”をやった程度という今井さん。それでもプロ野球選手は憧れの存在でした。「目的はスタルヒン投手(大映)からサインをもらうためですよ。部屋をのぞくとみんなで麻雀をやっていました。スタルヒンはがっちりとした体格で大きかったです。でも、肝心のサインはもらえませんでしたね」と苦笑い。「誰だか忘れましたがサインをもらって大切にしていましたが、それも1961年に実家から失火してなくなってしまいました」。地元開催のプロ野球には、悲しい記憶も重なります。

 全国規模の野球大会も開催され、多くの選手たちが集い温泉街の活性化にも寄与したグラウンドでした。ところが1957年から始まった都市計画事業により、1960年代の初めには球場の存続か廃止かを巡って町は大騒動になりました。当時を知る今井さんは「数では存続賛成派が多かったのでは」と振り返ります。

 しかし最後は、地元の名所である城山公園の観光地化を構想する町長らの意見が尊重され野球場の閉鎖が決定。内、外野のフェンスには広告看板もあった洒落た野球場は、わずか10数年でその使命を終えました。球場跡地は分割して売却され「営林署の寮なんかが建てられました」と今井さん。それで得た資金は城山公園へ通じる道路の建設費用に充てられたそうです。

 千曲川に架かる大正橋を渡り、湯けむり香る2つの温泉街を抜けた先にテニスコート2面ほどの広さの南部公園があります。ここに上山田球場はありました。かつて内野スタンドがあった場所の盛り土の一部は残されていて、その傾斜を利用して滑り台が設置されています。微かに残る球場遺跡。確かにここには、温泉街の人々の記憶に残る野球場があったのです。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・吉松俊紀さん
前島美澄さん
前島和也さん
今井史人さん
千曲市総合観光会館
参考文献・上山田の百年(上山田町役場発行)
写真提供・前島美澄さん

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