• セントラル・リーグ
  • 阪神タイガース
  • 広島東洋カープ
  • 横浜DeNAベイスターズ
  • 読売ジャイアンツ
  • 東京ヤクルトスワローズ
  • 中日ドラゴンズ
  • パシフィック・リーグ
  • オリックス・バファローズ
  • 千葉ロッテマリーンズ
  • 福岡ソフトバンクホークス
  • 東北楽天ゴールデンイーグルス
  • 埼玉西武ライオンズ
  • 北海道日本ハムファイターズ
  • 侍ジャパン

日本野球機構オフィシャルサイト

ニュース

NPBニュース

【記録員コラム】甲子園球場100周年コラム Vol.1「トリビア3選」

 阪神タイガースの本拠地でもある甲子園球場が1924年8月1日の開場から100周年を迎えました。プロ野球の公式戦が始まったのは球場誕生から12年後の1936年でしたが、記念の初試合は4月29日にこの甲子園球場で行われています。プロ野球の本拠地として最古で、大正、昭和、平成、令和と球史を刻み「聖地」と称され多くの人びとに愛される球場を、3回に分けて異なる観点からコラムで紹介します。初回は「トリビア3選」です。

100メートルの直線走路2本と、1周430メートルのトラックがあった

 完成時の名称は甲子園球場ではなく「甲子園大運動場」でした。呼び名の通りグラウンドは野球だけではなく、内外野でラグビー、外野でサッカー、フェンス沿いの走路で陸上の短距離走が行える多目的運動場として整備されました。そのため、外野の右中間から左中間にかけてのフェンス約80メートルはストレートに作られ、全体の形はそこを底辺とした台形のようでした。

 

 甲子園球場の外野スタンドの下には球場の歴史を展示した甲子園歴史館があり、その一角に球場設計図が展示されています。それを見ると、一塁側と三塁側のファウルグラウンドのフェンス沿いに100メートルの直線走路が、外野には約85メートルの直線走路が描かれています。その3本の直線走路を活用してフェンス沿いを1周すると430メートルになるトラックがあったのです。奈良県美吉野に西日本最大級の陸上競技場が完成したのは2年後の1926年。そんな時代に造られた1周430メートルのトラックは、大運動場の呼び名にふさわしいものでした。

 完成時のグラウンドは本塁から左右両翼までが111.6メートル、センターまでは118.9メートルありました。さらに、外野フェンスのほとんどが直線だったので左中間、右中間が極端に深くなっており約128メートルもありました。当時の野球規則では、本塁から外野フェンスまでは71.6メートルあれば規定を満たしました。それなのに両翼でも40メートル長かったのは、甲子園が多目的運動場として造られたのが要因だったのでしょう。

本塁からバックネットまで約27.4メートル、ベンチまでは約40メートルもあった

 上記のようにプレイングフィールドが大きかった甲子園は、ファウルグラウンドも現在の球場と比較するとかなりの広さでした。本塁からバックストップ(バックネット)までの距離は、野球規則では「60フィート(18.288メートル)以上を推奨する」とされています(昨年までは、60フィート以上を必要とする)。現在の甲子園球場は60.4フィート(約18.4メートル)になっています。

 ところが1924年の完成時は本塁からバックネットまで90フィート(約27.4メートル)もあったのです。90フィートは各塁間の長さと等しく、現在の1.5倍です。これは多目的運動場に造られたのが理由ではなく、当時の野球規則で「最短でも90フィート」が必要だったからです。しかも、現在のバックネットは多くの球場で曲線になっていますが、当時の規則では「バックストップは直線」と規定されていて、甲子園のそれはルールに忠実に造られました。したがって、一塁から本塁と、三塁から本塁を延長してバックネットまで引かれていたキャッチャースボックスのラインは約40メートルありました。完成時の一・三塁のベンチはバックネットの両端から近い場所にありましたから、ホームベースまでの距離は約40メートルもあったのです。

 プロ野球が使用する一、二軍の本拠地球場で、ファウルグラウンドが広いと言えば関係者の多くが広島の二軍が使用する山口県岩国市の「由宇練習場」を挙げます。

 写真でもその広さが伝わると思いますが、本塁からバックネットまでは球場建設時の野球規則の最低限の距離である60フィート(18.288メートル)で造られていて、他の球場と大差ありません。それでも広く感じられるのはバックネットが直線になっていて、一塁から本塁、三塁から本塁を延長したバックネットまでの距離が25.2メートルもあるからです。それでも約40メートルあった開場当時の甲子園と比較すると約3分の2に過ぎません。100年前の甲子園球場のファウルグラウンドは、とてつもなく広かったのです。

元祖「フィールドシート」は95年前、甲子園に造られた

 グラウンドレベルの観客席で臨場感あるプレーを楽しむことは野球観戦の醍醐味です。それらの席は「フィールドシート」と言われていますが、基本的に各球場の自称であり明確な規定はありません。「もともとファウルゾーンだった場所に増設された席」を定義とすると、プロ野球の本拠地球場では2003年のヤフーBBスタジアム(現ほっともっとフィールド神戸)が初採用とされています。

 甲子園球場の座席は何度か改修されましたが、プロ野球の公式戦が始まった1936年以降にフィールドシートの設置を目的に増築されたことはありません。ところがそれ以前では、開場直後の1929年、今から95年も前にフィールドシートが設置されていたのです。これに関しては文献が残されておらず、ネット上では1934年の改築の際に初めて「内野スタンド最前列がグラウンドレベルとなった」との記述もあります。

 しかし、甲子園歴史館に展示されている1929年の写真で、1924~28年にはなかった10列ほどの「フィールドシート」を一・三塁のファウルグラウンドに確認することができます。前述の100メートルの直線走路があった場所に、概算で1000席ほどが増設されたのです。これは春夏の甲子園大会の人気の高まりで、東洋一を誇るスタンドも狭すぎるようになり、一・三塁の内野スタンドと外野との間にあった木造スタンド20段(現在のアルプススタンド)を改築する前に、手っ取り早くファウルグラウンドを縮小する形で観客席を増やしたのでした。

 幸いなことにこの年、1929年5月にはグラウンドの南約2キロメートルの所に甲子園南運動場が開場します。陸上競技やラグビー、サッカーなどはそこで行われるようになり、大運動場は専用野球場になりました。ここから球史が色濃く刻まれ、「聖地」甲子園球場が形成されて行きます。

 次回は「試合数と本塁打」をテーマに掘り下げます。

【NPB公式記録員 山本勉】

参考文献・「甲子園球場物語」玉置通夫