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【記録員コラム】甲子園球場100周年コラム Vol.3「浜風」

 屋外の野球場ではその土地特有の風が吹いています。甲子園球場ではスコアボードの上にある旗が左にはためき、ライトからレフト方向へ吹く「浜風」が知られています。

 しかし、この浜風は一定方向に吹いているわけではありません。バックネット裏上段のスタンド内にある記録員席では、スコアボードの上の旗とは真逆の左から右へ風が吹き抜けます。スコアボードと記録員席の距離は約200メートル。わずかに離れているだけで、全く風向を変える聖地に吹く風を掘り下げます。

 そもそも浜風とはなんなのでしょう。甲子園の近くで生まれ、現在も西宮市に在住で気象予報士の南利幸さん(59)に聞きました。「気象用語では海風(うみかぜ)と言います。これは陸地と海上との気温差により発生します。晴れている時の日中は陸地の気温が上がり、空気が軽くなり上昇気流が発生します。その上昇気流で少なくなった空気を補うために、海から陸に向かって風が吹く(海風)ことになります」。浜風は陸地と海上の気温差を要因に発生する風だったのですね。

 したがって、一日中吹いているわけではないようです。「夏場であれば朝の10時頃から始まり、午後4時頃が最も強くなり、夜の10時頃まで続きます。夜は陸地が冷え込み、海上の方が気温は高くなります。すると海上で上昇気流が発生するため、陸地から海に向かって風が吹きます。これを陸風(りくかぜ)と言います」。晴れた夏の真夜中、甲子園には浜風と逆の風が吹いていたとは知りませんでした。

 プロ野球のファンでもある南さんが、浜風の風向についても説明してくださいました。「風向は南西もしくは西南西から吹きます。甲子園はホームベースから見てセンターが南になるので、南西の風であれば『ライトスタンドからサードの方向』、西南西の風であれば『ライトポールからサードの方向』になります」。ライト方向への飛球が浜風によって押し戻されるシーンをしばしば見かけます。スタンド上方を取り囲む広告看板や、周辺の高層建造物の影響で風向に若干の変化はありそうですが、ライトエリアには概ね気象学通りの風が吹いているようです。

 では、スコアボードの上の旗が東(左)方向にはためく浜風が吹いている時、記録員席では真逆の風が吹くのはなぜでしょう。この現象について南さんは「ライト方向から入って来た風が、銀傘があるため吹き抜けることが出来ず、構造上風が舞っていると思われます」と推測しました。

 風は色が着いていなので流れは視認できませんが、選手なら体感することはできます。阪神の内野手として19年間活躍し、甲子園でサードを守った実績も豊富な関本賢太郎さん(46)は「三塁側のファウルグラウンドは、銀傘に当たった風が方向を変えるので打球が戻って来ます。甲子園は三塁側のフェンス付近に上がった飛球が一番難しかったです」と振り返ります。ライト方向から入り三塁ファウルグランドに達した浜風は、南さんの推測通り銀傘に当たり流れを変え、バックネット裏上段では一塁側スタンド方向へ舞い戻っているのでしょう。

 浜風の最大の特徴は前述したように「ライト方向への飛球を押し戻す」点にあります。左のスラッガーに試練を与え、守る野手にも容易な環境ではありません。記録員として、私もヒット、エラーの判定で頭を悩ませたことがあります。そんな浜風に選手はどう立ち向かって来たのでしょう。NPBでは中日、阪神で19年間プレーした福留孝介さん(47)は「左打ちの長距離砲にはキツイ球場ですよ」と8年間本拠地にした甲子園を語り始めました。

 通算285本塁打のうち、甲子園で放った本塁打は39本。そのうち23本はライトスタンドへ叩き込みましたが、浜風によって損をした当たりも数知れず。左打者の悲哀を身をもって体験しています。「会心の当たりが浜風で失速すると泣きそうになりました。だから風と喧嘩しないよう低い打球を打つとか、風の影響を受けにくいライトのポール際に打つなどを意識していましたね」。一般的に高く上がった打球ほど影響を受け、ライトポール際の打球は失速しないと言われていますが、福留さんも同様の認識で臨んでいたようです。

 そんな左打者泣かせの浜風も気温が下がり秋色漂う頃になると回数を減らし、風はレフト方向からに変わり、ライトへの打球を後押しすると言います。「天気が悪い時もレフトからライト方向に吹きますが、空気が水分を含んでいるので微妙でした。秋の風は楽しい気分になりました」と回想します。

 甲子園の守りではゴールデングラブ賞を5度獲得した守備の名手も気を遣ったと言います。「練習の時から、今日はどんな風が吹いているのだろうと意識していました。試合中もスコアボードの旗だけでなく、球場にある全ての旗を見ていましたね」。刻々と変わる風の向きを察知しながら打球に対応していたことが伺えます。

 昨年完成のエスコンフィールドHOKKAIDOは開閉式屋根付き球場で、屋根を開けた試合では自然の心地よさを感じられます。数年後に新装予定の神宮球場は屋外球場です。1990年代のドーム球場全盛の時を経て、今また風や雨、太陽といった自然と一体化した野球場の価値が見直されているようです。プロ野球最古の野球場に吹く「浜風」をこれからも見守っていきたいと思います。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・南利幸さん
福留孝介さん
関本賢太郎さん