【球跡巡り・第84回】丸亀城のお堀にホームランボールが飛び込んだ 丸亀市立城内球場
香川県の中西部に位置し、北に瀬戸内海、南に讃岐山脈の山々をのぞむ丸亀市。市街地には四重の石垣を合わせると60メートルの高さにもなる「石垣の名城」として名高い丸亀城があります。その城の一角に地元の野球愛好者から親しまれた丸亀市立城内球場(通称城内グラウンド)がありました。
球場は市民らの手により、内堀を隔てて隣接する丸亀高校の生徒の勤労奉仕も得て造られました。完成は1948年6月。ネット裏に客席はなく、一、三塁の内野と、ライト後方にコンクリートが打ちっぱなしで1000人ほどが座れるスタンドがありました。そして、バックスクリーンからレフト方面はフェンスがあるだけで、その外はわずかな平地を経て城を取り囲む内堀に。左翼91.4メートル、中堅112.9メートルの間にあるフェンスを越えた打球は、日本版“スプラッシュヒット”になる趣のある球場でした。
(注:スプラッシュヒットとは、MLBサンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地オラクルパークのライト側場外の海にボールが飛び込むホームランのこと)
プロ野球は1950年代に2試合開催され、スプラッシュヒットも1本出ています。50年8月22日に行われた広島対国鉄戦でした。国鉄ベンチにはその直前に享栄商業(愛知)を中退し入団した、のちの400勝左腕金田正一投手の姿もありました。3回裏、広島の攻撃。一死から打席に入った長谷川良平投手が、国鉄先発古谷法夫投手の初球を一閃すると打球は左翼ポール際のフェンスを越えます。公式記録員が飛距離を「約100メートル」と記した一打は、築城から約350年経った丸亀城の内堀に飛び込みました。
グラウンドは丸亀高校野球部の練習場にもなっていました。前述のように、球場は同校生徒たちの多大なる尽力で造られた経緯があり、使用することが許可されていたのです。現丸亀市長の松永恭二さん(64)も3年間ここで白球を追いました。
「リヤカーに練習道具を積んで通いました。球場を囲む塀がなく、周りがお城の散歩コースになっていたので見物人も多かったですね。ファウルボールが散歩している人や駐車中の車に当たることもありましたが、頭を下げて謝ったら終わり。そんないい時代でした」と半世紀前を懐かしみます。
「ここでは毎年、夏の県大会前に丸亀高校と丸亀商業の定期戦がありました。私が初めて見たのは小学2年生の時でしたが、その時の衝撃は今でも忘れられません。両校の生徒が内野スタンドを埋め、球場外周の散歩コースも人だかり。ブラスバンド部による応援合戦もにぎやかで、凄い熱気でした。それを見た時に高校野球をやろうと思ったのです」
小学6年生の時、このグラウンドで行われた子供会のソフトボール大会でランニングホームランを打った松永さんは、中学校で軟式野球に興じ、丸亀高校で念願の野球部に入部。少年時代に衝撃を受けた定期戦に、自ら出場することになります。「両校の対決は命がけなんですよ。ついついラフなプレーもあったような記憶があります。特に相手の丸亀商業はOBやファンからのプレッシャーが大きかったようで、“丸高だけには負けてはならん”とモチベーションが高く感じられました」。残念ながら松永さんが在学した3年間は全て丸亀商業に敗れましたが、意地と意地がぶつかり合った真剣勝負は生涯の思い出です。
グラウンドは松永さんの入学時には真砂土といわれる、学校の校庭によく見られる硬い土でした。「スライディングをするとユニフォームが破れ、皮膚が擦りむけて血みどろになりました。2年生から本格的な黒土になりましたが、すると水はけが抜群でね。従前より通常練習の機会が増えてしまい、恨めしかったです」と苦笑い。厳しい練習の最後にはその立地を生かし、一周1200メートルの城の遊歩道を10周か、天守がそびえる亀山(標高66メートル)まで10往復のランニングもありました。「あんなこと、よくやっていましたよ(笑)」。市長として激務が続く中、しばし振り返った青春時代の思い出は尽きることがありませんでした。
野球の試合が行われたほか、春にはお城まつりのメイン会場として市民が集う憩いの場でしたが、建設から50年以上経った2000年代になると老朽化が進みます。そして2015年春に市内金倉町の総合運動公園内に新球場(レクザムボールパーク丸亀)がオープンすると、16年3月で閉鎖されました。跡地は現在、石垣崩落の復旧工事のための石材置き場として使用されていますが、外野スタンドは往時の姿を留め野球場の痕跡を残しています。
レクザムボールパーク丸亀では来年7月、県内で初となるプロ野球のフレッシュオールスターゲームが行われます。市長として開催の誘致に尽力した松永さんは「嬉しくて、嬉しくて」と目尻を下げ、「子供たちに最高峰の野球を目の前で見せてあげることができます」と声を弾ませました。三原脩、水原茂、中西太らあまたの名選手を輩出し、高校野球でも春夏を合わせて5度の全国制覇。「野球王国」と言われる香川県に新たな球史が刻まれます。
【NPB公式記録員 山本勉】
調査協力・ | 松永恭二丸亀市長 徳永博保さん |
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写真提供・ | 徳永博保さん |