【コラム】来日初完封で“マダックス”を達成した「火球男」、剛球で楽天打線を抑え込んだ日本ハム・古林睿煬
すさまじいまでのボールの威力から「火球男」の異名を持つ日本ハムの新外国人右腕・古林睿煬が本領を発揮した。5月11日の楽天戦(エスコンF)、来日3度目の先発マウンドに立つと楽天打線を寄せ付けない。150キロ前後の力強いストレートに打者は差し込まれる。高めのコースもうまく使い、カーブ、スライダーを織り交ぜながら、6回二死まで一人の走者も許さないパーフェクトピッチング。2本の安打を打たれたあとも冷静に後続を断ち、二塁を踏ませない。ストライク先行でテンポ良くイニングを重ねていった。
8回を終えてわずか89球で無失点。ベンチでは継投も検討されたが、新庄剛志監督は「完封をさせたい」。最終回は小深田大翔を2球で遊ゴロ、村林一輝を5球で空振り三振に仕留めると、中島大輔に対しては1ストライクからの2球目、外角高めのストレートを詰まらせ遊ゴロに。98球で2安打7奪三振、無四死球での完封勝利を成し遂げ、100球未満での完封“マダックス”を達成した。日本ハムの外国人投手が100球未満で完封勝利を挙げたのは1995年7月4日の西武戦でキップ・グロス(81球)、2002年4月10日のロッテ戦でカルロス・ミラバル(80球)に次いで23年ぶり3人目の快挙だった。
「ストライク先行を意識して投げられました。内容はすごく良かったです。初めての完封を日本で出来たので、すごくうれしい。(お立ち台は)特別な景色なので、もっと上がれるように頑張ります。声援が力になりました」
台湾出身の24歳。23年のアジアプロ野球チャンピオンシップの日本戦では6回一死まで完全投球を披露し、一躍注目の選手となった。24年は台湾プロ野球の統一で10勝2敗、防御率1.66をマーク。最優秀防御率、MVPに輝き、オフにはポスティングシステムで日本ハム入りを決めた。
1月下旬に台湾から来日した直後に右脇腹を痛めたが、いきなりのアクシデントにも焦らず調整を進めてきた。春季キャンプは別メニュースタート。調整自体は遅れたが、チームにすぐに溶け込んだ。「チームメートの皆さんが積極的に交流してくれてうれしいです。中国語で『おはよう』はどう言うのか?とか、いろいろ聞いてきてくれるのが印象的。ファンの方もとても温かくて、キャンプ地にも多く来ているのもすごいなと感じます」と新チームに好印象を抱いた。
“日本デビュー”は3月11日、ロッテとのオープン戦(ZOZOマリン)。6回のマウンドに上がると三者凡退で投げ終えた。18日の巨人戦(エスコンF)では7回から登板し2イニング4奪三振の快投。最速155キロもマークした。当初はセットアッパーの構想だったが、新庄監督は「あのピッチングをされたら1回、先発を見てみたい」と方向転換を決めた。
初の一軍マウンドとなった4月23日の楽天戦(エスコンF)は5回2/3を9安打7失点と打ち込まれたが、スコアラーと熱心に意見交換するなど研究を重ねリベンジを誓った。5月1日のソフトバンク戦(みずほPayPay)で来日初勝利を挙げ、“マダックス”で2連勝。チームを4月2日以来の単独首位に押し上げた。
日本で進化する助っ人右腕。9年ぶりの優勝を目指す日本ハムで背番号37の存在は欠かせない。
【文責:週刊ベースボール】