【記録員コラム】プロ野球唯一の両チーム無安打試合
開幕早々、一軍で広島の栗林良吏投手が“準完全試合”、日本ハムの細野晴希投手がエスコンフィールドHOKKAIDO初の無安打無得点試合(ノーヒットノーラン)を達成と、話題となる出来事が続いています。
無安打無得点試合はよく耳にするでしょうが、およそ90年続くプロ野球で、ファームの公式戦とはいえ、たった一度“両チーム無安打試合”があったということはご存知でしょうか?その歴史的な試合を記録員となって4年目の私が担当していました。当時の記憶とともに“両チーム無安打試合”にまつわるお話をご紹介します。
プロ野球唯一の両チーム無安打試合
1994年4月26日 ヤクルト対西武2回戦(大宮市営)
試合結果
遡ること32年前、1994年度のイースタン・リーグは4月9日に開幕。12試合目のヤクルトが西武を迎えての第2回戦。試合は青空のもと、準フランチャイズの大宮市営球場(現・さいたま市営大宮球場)で13時03分に始まりました。先発投手はヤクルトがドラフト1位ルーキーの山部太。3試合目の登板で未勝利。相対する西武は3年目の竹下潤。すでに2勝を挙げています。即戦力として入団してきた若手有望株同士。両投手による投手戦が期待されました。
山部は1回表、2者連続で四球を出し、2アウト二・三塁とピンチを背負いますが山部と同じくルーキーの山田潤から空振り三振を奪いこの回は無失点。4回表、清水義之に四球を与えましたが山田を今度は併殺打に打ち取り、2回から8回まで結果的に3人ずつで抑え無安打投球。かたや竹下の投球内容も素晴らしく、4回終了まで一人も走者を出さないパーフェクトピッチング。4回を終了して両チーム無安打。この時点では気にも留めていませんでした。
唯一の得点シーンは5回裏。先頭の河野亮がレフト定位置付近へフライを打ち上げます。風があった上にまぶしい青空。レフトの山田が落下点へ入りますがグラブの「土手」に当てて落球、その間に二塁に到達します。風があってまぶしそうではありましたが私は迷うことなく失策と判定しました。津川力(現NPB審判員)が三塁方向へ送りバントをうまく成功させ1アウト三塁。幸田正広がスリーバントスクイズを投手前へ。竹下が本塁へ送球。三塁走者の河野が本塁を狙い懸命に突っ込んできます。当時、コリジョンルールのない時代。記録席からは、ブロックしていたのでアウトとも見えるプレイでしたが球審がセーフの判定。田原晃司捕手が落球したのです。犠打か失策の二択でしたが私は犠打野選と判定しました。河野が生還。ヤクルトが1点をもぎとります。5回を終了して1-0、未だ両チーム無安打。グラウンド整備を見つめながら、このまま終わらないでほしい、少なくともどちらかにヒットが出てほしい、と思い始めました。
6回以降も両投手は凡打の山を築きます。私は打球が飛ぶたびにドキドキしたのを覚えています。ファームの球場はグラウンドと同じ目線でジャッジする記録席が多く、打球や送球が選手の陰になることもしばしばです。一瞬でも目を離すまいと、立ち上がって右に左に動いてボールの行方を追いました。7回も双方無安打で試合は淡々と進み、まず竹下が与四球1の無安打投球、“ノーヒットワンラン”で8回を投げ終えました。珍しい記録が達成されたのも束の間、まだ気が抜けないことに気付かされます。山部の無安打は続いており、1-0でヤクルトがリードのまま9回表へ。先頭は代打の安藤真児。この日4つ目の四球で歩かせると上中吉成に犠打を決められ1アウト二塁。ここで一打出てしまえば大記録はおろか、試合が振り出しに戻るピンチでしたが、続く佐伯秀喜がサードフライ、犬伏稔昌がファーストゴロで試合終了。試合開始からわずか1時間57分後、山部がイースタン・リーグ14人目、15度目のノーヒットノーランを見事に達成、そして歴史的な”両チーム無安打試合”も生まれた瞬間でした。
一軍でも両チーム計2安打が最少で2例、ファームでも過去30年遡っても両チーム計2安打が昨年1例あるのみです。どれだけレアな試合だったかということがうかがえます。しかし、大宮市営球場のスコアボードには安打数が表示されません。“記録の見届け人”となったおよそ200人の観衆の反応は薄かったと記憶しています。私は、歴史的な出来事に立ち会えたという事の重大さに感動すると同時に試合が終わったという安堵感でグッタリ。球審を務めた篠宮慎一審判員(当時)に後日、話を伺うと、確かにそう映ったと話してくれました。
試合翌日。この日も大宮市営の担当で球場入り。すると西武・黒江透修二軍監督が直接、記録席へ現れます。監督曰く、「昨日の幸田のスクイズ、あれは犠打野選ではない!捕手のエラーで犠打はつかない!!」と詰め寄られました。「落球しましたが、アウトになるかどうか分からないタイミングでした。したがって犠打野選と判定いたしました。」と丁寧に対応しました。この場合、失策で出塁した走者の得点ですからどのように得点しようが非自責点。両軍無安打も自責点も変わらないのですが…。当時は激しい抗議を直接受けたものです。苦い思い出として残っています。
数年前、ヤクルトの編成担当である山部氏と球場で顔を合わせる機会がありました。私がこの試合を担当していてとても緊張したと話すと、「そうでしたか、懐かしいですねぇ。」と当時のことを振り返ってくれました。山部はこの試合の前後でも無安打のイニングを続けており、同リーグ最長の18イニング連続無安打を記録しています。翌1995年には一軍に定着。チームトップの16勝を挙げ野村克也監督率いるヤクルトスワローズのセントラル・リーグ優勝と日本一に貢献しました。竹下は山部が達成するわずか半年ほど前の1993年9月14日に13人目、14度目、対戦相手も同じヤクルト戦でのノーヒットノーランを記録していましたが今回は“ノーヒットワンラン”、被安打0に抑えながら1失点で敗け投手。2年連続ノーヒットノーランの快挙とはなりませんでした。
以上、我々、公式記録員は、時には悩むジャッジ、複雑なプレイや自責点の決定などに直面します。いつ起きるかもしれないノーヒットノーランに立ち会いたい気持ちも持っていますが、本音は”無難“に終わることを期待して試合に臨みます。今回はファームでの体験をご紹介しました。また記録に関する話題をピックアップしてご紹介できたら、と考えています。
【NPB公式記録員 中村晃】