【コラム】日米通算21年間のキャリアで258セーブ&205ホールド、オリックスの鉄腕・平野佳寿が現役を引退
挫折も栄光も味わいながら、オリックスを支え続けてきた功労者が、現役生活に幕を下ろした。
日米通算21年間のキャリアで258セーブ&205ホールドを挙げ、球団初の名球会入りを果たしている平野佳寿投手兼任コーチが、9月25日のソフトバンク戦(京セラD大阪)で引退試合に臨み、慣れ親しんだ9回のマウンドへ。同じく今季限りでユニフォームを脱ぐ中村晃を直球で追い込み、最後は宝刀・フォークで空振り三振に仕留めた。
引退会見では「お釣りが来るぐらいやり切らせていただきました。悔いはないです」と晴れやかな表情で話していたが、試合後のセレモニーでも笑顔、笑顔。先発だった2010年にリリーフへ抜擢した岡田彰布元監督や、同学年の金子千尋氏が花束を持ってサプライズ登場も、やはり笑顔で迎え、ナイン、ファンから盛大に見送られた。
京都府立鳥羽高では2年春、3年春の2大会で甲子園に出場。京都産業大に進み、4年時には「大学ナンバーワン右腕」と高い評価を受けて、2005年のNPB大学・社会人ドラフト希望枠でオリックスに入団した。2006年の新人年、開幕カード第2戦の西武戦、8回裏にリリーフ登板でプロキャリアをスタートさせ、同年はその後、先発ローテーションの座をつかんで7勝をマーク。翌2007年は8勝を挙げるなど、好スタートを切ったかに見えたが、2008年は右肘痛と手術のために一軍登板ゼロに終わる。復帰した2009年は3勝12敗と先の見えない苦しみに襲われていた。
ターニングポイントとなったのは、2010年の岡田監督就任とリリーフへの配置換え。同年に63試合登板32ホールドで手応えをつかむと、2011年はリーグ最多の72試合に登板し、43ホールドで最優秀中継ぎ投手賞を受賞。クローザーに役割を変えていた2014年は40セーブを挙げて最多セーブ投手のタイトルを獲得している。
2017年オフに海外FA権を行使してダイヤモンドバックスに移籍し、2020年までMLB2球団で通算150試合に登板、9勝9敗8セーブ48ホールドの成績を残した。鋭い変化と大きな落差を持つ魔球フォークは海を渡っても冴え渡り、MLBでも通算131の三振を奪っている。
2021年にオリックスへ復帰。同年からチームは3年連続でリーグ制覇、2022年は日本一を成し遂げているが、平野もクローザーとして2021年=29セーブ、2022年=28セーブ、2023年=29セーブと偉業に貢献し、「本当に(オリックスに)戻らせてもらって良かった。あの3連覇で僕の野球人生も救われた」と感謝の言葉を口にしている。
20年以上、苦楽をともにしてきた盟友の岸田護監督の下、最後は兼任コーチとしてプレー。今季終了後の進路について正式発表はないが、「(岸田監督に)プレーヤーとして貢献できず申し訳なかった。もし一緒にやれるなら、下で働いて胴上げできるように」と恩返しを誓う。オリックスが誇る鉄腕の、第2のキャリアも楽しみだ。
【文責:週刊ベースボール】

