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【記録員コラム】80年前のスコアカードをめくると

 プロ野球は開幕して1か月。この間に様々な記録が生まれたが、4月1日にマツダスタジアムで行われた広島対阪神2回戦は、延長10回で両チーム計27与四球と投手陣が乱れた。9回までに与えた26四球は、セ・リーグでは過去2度あった20与四球を上回る新記録で、1リーグ時代を含めると、1937年9月12日のライオン対金鯱2回戦に並ぶ、80年ぶり2度目のプロ野球タイ記録であった。

 1937年といえばプロ野球が産声を上げて2年目。そこで、NPBに保管されている80年前のスコアカードを開いてみた。先日の試合は両チームで13投手が登板し467球を投げたが、当時のスコアカードに投球数の記入はない。プロ野球草創期、公式記録員は1球毎のボールカウントを記入していなかった。試合が行われたのは後楽園球場で、この日はその後50年間に渡りプロ野球最多の7168試合を開催することになる聖地の開場日だった。正午に始まった試合は両軍投手が四球を乱発したにも関わらず、13時44分に終了。試合時間わずかに1時間44分。しかも、この日は落成を祝って連盟所属の全8チームが集結し、4試合を挙行。この試合は午前10時15分から行われた試合に続く、2試合目であった。当日の試合詳細は次の通りである。

    開始 終了 試合時間
第1試合 イーグルス 0-3 名古屋 10:15 11:30 1時間15分
第2試合 ライオン 8-6 金鯱 12:00 13:44 1時間44分
第3試合 セネタース 2-0 阪急 14:12 15:19 1時間07分
第4試合 タイガース 9-8 巨 人 15:44 17:42 1時間58分

 近年では1日2試合のダブルヘッダーも皆無だが、80年前のプロ野球は朝10時過ぎから4試合を行っていたのだ。この日の日の入りは17時56分だったが、きちんとその14分前に4試合目も終了。当時の試合展開は、現在の高校野球並みにスピーディーだったことが伺える。ちなみに4試合の合計試合時間は6時間4分。1試合で5時間24分を要した先日の広島対阪神戦の試合時間と大差はなかった。

 26四球と大荒れとなったライオン対金鯱戦の勝利投手にも驚かされる。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9
金鯱 0 6 0 0 0 0 0 0 0 6
ライオン 7 1 0 0 0 0 0 0 X 8
[ラ] ○近藤(1回-2点)、桜井(8回-4点)

 ライオンの先発近藤久は1回表を0点に抑えると、その裏に7点の援護を受ける。しかし2回表、先頭打者から3者連続四球を与えあえなく降板。リリーフ登板した桜井七之助はこの回6点を奪われたが(うち2点は近藤の責任)、3回以降は1点も許さず最後まで投げ切り、ライオンが8対6で勝利。今なら文句なく桜井が勝利投手である。しかし、この試合の白星は先発して2回途中で降板した近藤に記録されている。現在の野球規則では、基本的に先発投手は最低5イニングを投げないと勝利投手になれないが、当時はまだこの規定がなく勝利投手の決定は公式記録員の主観に任されていた。近藤が降板した時点でライオンは7-0と大量リード。しかも、救援した桜井は8イニングで12四球を与えたことから、勝利投手は近藤が相応しいと記録員は判断したのであろう。レギュラーシーズンで、先発投手が投球イニング「1」で勝利投手になったケースは、他に見当たらない。

 プロ野球は過去の記録やデータから語られることが多い。1936年4月29日、甲子園球場で名古屋対大東京の一戦から刻まれた歴史は、5月中旬にも60000試合の節目に達する。その全てのスコアカードはNPBに保管されている。大記録や快記録(時には今回のような怪記録)が達成された時、ルール的に面白いプレイが起こった時など、過去のスコアカードや規則書をめくってプロ野球を綴ってみたい。

【NPB公式記録員 山本勉】

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