【記録員コラム】三振しても三振が記録されなかった!?
球春到来、2019年もプロ野球界はキャンプ、オープン戦の季節となりました。シーズンオフの間、公式記録員は記録集の原稿作成や記録の精査等をしているのですが、その中で一つ興味深いことがありましたので、紹介したいと思います。
2018年6月21日に、「【記録員コラム】三振=アウトではない!?」というコラムを掲載しました。その中で、三振とは球審が打者にストライクを3回宣告したときに投手と打者に記録されるということと、第3ストライクと宣告された投球を捕手が捕球できず打者が一塁に生きた場合、三振と暴投、または三振と捕逸、あるいは三振と失策のいずれかを公式記録員が判断して記録する、ということを紹介しました。
しかしこれは現在の野球規則において定められていることであり、かつては第3ストライクが宣告されても三振が記録されない、という時代がありました。当時の野球規則を引用しながらお伝えします。
まずは1949年の野球規則において、現在でいう「三振と暴投」の場合は「三振を記録せず投手に失策」を、「三振と捕逸」の場合は「三振と捕手に失策」を記録していました。第3ストライクが宣告されても、それが投手の暴投と判断される投球だったならば三振としてカウントされず、さらには投手に失策が記録されていたのです。
【1949年 昭和24年 日本野球聯盟規則委員會編 最新野球規則】(原文まま)
第七十條 第九項
・投手が打者の第三ストライク目を暴投して打者を走者として一塁に達せしめた時は投手に三振を与へず投手の失策として記録する。
・捕手が打者の第三ストライク目の球を捕り損じ、又は後逸して打者に一塁を与へた場合は捕手の逸球としないで失策として記録する。この場合投手に三振の記録を与へる。
この規則が1950年に少し改正され、現在の「三振と暴投」の場合でも「三振と投手に失策」を記録することになりました。これは1956年まで続きます。
【1950年 昭和25年 公認野球規則】(原文まま抜粋)
10・10 失策
・打者が彼にとつて第三ストライク目のワイルド・ピッチを空振して、それにより一塁に到達することが出来た場合、三振および投手の失策が記録され、ワイルド・ピッチとはならない。
・捕手が第三ストライクを後逸して、打者に一塁を許した場合、捕手に失策が記録され、パスト・ボールとはならない。三振も記録される。
ここでおもしろいことは、現在の規則において「三振と暴投」で出塁した走者が得点した場合、それは投手の責任であり自責点となるのですが、1949年までの三振ではなく投手に失策を記録するという規則においてはあくまで失策として取り扱われるので当然、非自責点としていました。
しかし1950~56年の規則における「三振と投手に失策」で出塁した走者が得点した場合、失策出塁にも関わらず特例で自責点としていたということです。
【1952年 昭和27年 公認野球規則】(原文まま)
10・15 アーンド・ラン(自責点)
・打者を一塁に到達せしめるワイルド・ピッチは、投手の失策であるからそれは守備の失策と記録されるのであるが、一つの失策としてではなく、アーンド・ランを算定する際にはワイルド・ピッチとして考えなければならない。これは、失策が無視される唯一の例である。
「失策が無視される唯一の例である」と明文化されていることがとても印象的です。
そして1957年、さらに規則が改正され、現在と変わらない考え方となりました。
【1957年 昭和32年 公認野球規則】(原文まま)
10・13 失策を記録しない場合
・第三ストライクが暴投となり、打者が一塁に達した場合は三振と暴投とを記録する。
・第三ストライクの球を捕手が逸して、打者が一塁に達した場合は、三振と捕逸とを記録する。
現在の野球規則を読んでいて何の疑問を抱かないような事項でも、このような改正があったうえで今に至っています。おそらくそれは記録に携わる先人達が議論に議論を重ねた結果であり、現在も我々公式記録員は事あるごとに議論を重ねています。野球規則の奥深さを知り少しでも興味を持っていただけたらと思います。
【NPB公式記録員 伊藤亮】