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【球跡巡り・第33回】国宝・姫路城で1日だけプロ野球が行われていた!姫路城内球場

 兵庫県姫路市の姫山にそびえる姫路城。シラサギが羽を広げたような優雅な姿から「白鷺城」の愛称でも親しまれ、ユネスコの世界文化遺産に登録される名城は昨年度も150万人を超す来場者でにぎわいました。

 JR姫路駅から真っすぐ北に伸びる道を進み、城内の大手門をくぐると視界に三の丸広場が広がります。戦時中は軍隊の練兵場だったこの場所は、戦後整備され1947年10月に「三の丸野球場」として使用を開始。天下の名城を間近に仰ぎ見るこの地でも、プロ野球が開催されています。(当日のスコアカードには「姫路城内」と記してありますが、同一球場です)

 日本野球連盟(現NPB)と姫路野球協会の共催で、開場翌年の1948年11月9日に阪急対中日、金星対南海の変則ダブルヘッダーが行われました。後援した神戸新聞社が、前日の紙面で「播州路における初の公式戦だけに熱戦が予想される」とPRしたことも奏功し、当日は1万3000人の観衆で盛り上がりました。野球場とは名ばかりに、常設スタンドのない簡素な造りだったので、天守閣に登り野球を眺める人もいたのでしょうか。ちょっと小粋な観戦スタイルが、目に浮かびます。

 第1試合の阪急対中日戦。阪急の先発は今西錬太郎投手でした。1946年に入団し、切れ味鋭いシュートを武器に“巨人キラー”として名を馳せた今西さんは、この年チームの大黒柱として前日までに21勝の活躍。この試合も中日打線を被安打7、2失点(自責点0)に抑え、完投で22勝目を挙げました。DeNAの前身、大洋ホエールズの球団初勝利投手としても知られ、昨年横浜スタジアムでのクライマックスシリーズで始球式を務めた今西さんは、元気に都内で過ごされています。

 三塁側ベンチ後方にそびえる姫路城を見ながら投げた、若き日のマウンドを覚えているのでしょうか? 9月には96歳になる球界のレジェンドにお話しを伺いましたが、残念ながら記憶に残っていませんでした。無理もありません。現代では城や城跡が望める野球場でのプロ野球は希少ですが、今西さんが現役の70年前は頻繁に開催されていました。今西さんの遠征記録だけをたどっても、姫路城内の他、彦根、徳島西の丸、上田市営、松山市営、山形市営、明石公園、高田公園、弘前市営…。車社会到来以前の時代を象徴するかのように、公共施設の野球場は街の中心部にある城郭に建設され、プロ野球は集客の観点からそれらの球場で積極的にゲームを行ったのです。今西さんにとってマウンドから見えた景色は、記憶に留めるまでもない日常の風景だったのでしょう。

 1952年に現在は大手門駐車場となっている場所に本町野球場(1988年廃止)が、1959年には手柄山公園に市立球場が建設されたこともあり、プロ野球開催はこの1日だけでした。したがって、国宝・姫路城の城郭内で白星を挙げたのは、第2試合の岩本信一(南海)投手と今西さんの二人だけ。まさに“国宝級”の価値がある記録に思えます。

 ところで、上記の本町野球場では二軍選手によるオープン戦が行われています。1958年3月9日には、南海対巨人のダブルヘッダーがありました。その第2試合、巨人の先発は馬場正平投手。のちにプロレスラーとして活躍した「ジャイアント馬場」です。馬場は南海打線を1失点に抑え完投勝利を挙げるとともに、2回には平山正行投手から3ラン本塁打。入団4年目の馬場が記録した初めての本塁打でした。5年間のプロ野球生活で、一軍戦では勝ち星も本塁打も記録できなかった馬場ですが、この日ばかりは身長200センチ、体重90キロの巨体が名城にも負けず、高くそびえていたに違いありません。

 現在、三の丸広場は市民の憩いの場となっており、花見や各種のイベントスペースとして活用されています。次回、姫路城を見物の際には、「ここでもプロ野球が行われたのか」と思い出していただければ幸いです。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・今西錬太郎さん
姫路市立城郭研究室
参考文献・「二軍史 もう一つのプロ野球」松井正・啓文社書房
写真提供・姫路市立城郭研究室