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【コラム】日本人選手最速200号をマークした西武・山川穂高、現役最強アーチストが野球人生を懸けて放った本塁打

 外角高めのカットボールを振り抜いた打球は右中間席へ着弾。6月26日の楽天戦(楽天生命パーク)、西武の山川穂高が放った23号ソロは通算200号のメモリアルアーチだった。697試合目での到達は田淵幸一(阪神)、秋山幸二(西武)の714試合を更新する日本人選手最速記録。「いや~、200号、めちゃくちゃ忘れてました。打席の中では相手投手に対して集中してますから。ホームランのあと、ベースを回りながらベンチを見たら、あ、そうだった、って。打てて良かったです」。6回にも2打席連続となる24号ソロを放って2対0の勝利に貢献したが、山川の頭を占めているのは目の前の打席で本塁打を打つことだけ。記録がよぎることは、まったくない。

 2018、19年に本塁打王に輝きリーグ連覇の立役者に。だが一転、20、21年は納得のいかない成績に終わった。「どうやって打っていいのかが分からない。結果が出せそうにない自分がいることがすごく苦しかった」。野球人生で初めて「打席に立ちたくない」とまで思うほど苦悩は深かった。このまま終わりたくない――。現状打破のため練習に打ち込んだ。自主トレから「お尻を決めて軸足を安定させる」ことをテーマにバットを振り込む。軸足となる右足でしっかりと立ち、ぐらつくことなくタイミングを取る。3年ぶりにその感覚が戻り、春季キャンプ、オープン戦と打撃の形を変えることなく過ごせた。

 20年は右足首、21年は左太もも裏肉離れと2年連続で故障したことも不振につながった。それだけに今季はより体を気遣っていたが、3月30日の日本ハム戦(札幌ドーム)で走塁中に右太もも裏を痛めて登録抹消に。ショックは大きかったが、幸いだったのは患部が軽症だったことだ。離脱中もお尻に重点を置いたトレーニングは変わらずに続けられたため、4月19日の一軍復帰からも大きく調子を崩すことはなく、本塁打を量産。今季、山川が本塁打を放った20試合でチームは18勝2敗と高勝率を誇っている。

 「僕はホームランしか狙っていない」と言う山川。自身のアイデンティティーでもある本塁打だが、野球人生を懸けて放った一発がある。プロ4年目、17年7月8日の楽天戦(Koboパーク宮城)のことだ。0対2の8回二死二塁、代打で打席に立った山川はカウント3-1からの5球目、ハーマンが投じたストレートをフルスイング。勢いを増した打球は右中間スタンドへと吸い込まれていった。

 「僕はずっと打ち続けないといけないんです。3試合あったら全部打たなきゃいけない、140試合あったら140試合全部打たなきゃいけない中で、じゃあどうするかと言ったら、全打席、結果を出しにいくということ。その気持ちで打席に立って打ったホームランでした」。16年に一軍で14本塁打をマーク。17年は開幕一軍を果たすも、打率1割台と不振を極め、5月1日に二軍落ち。二軍で懸命に打撃と向き合い、同日に一軍再昇格を果たしていたばかりだった。

 「あの一本がなかったらクビかもしれなかったですね」。あきらかに流れが変わった。その後も目の前の打席に集中して打ち続け8月度、9、10月度と2カ月連続で月間MVPを獲得。最終的には本塁打数を23にまで伸ばした。そして、翌年から2年続けて本塁打王に――。

 これからも山川は本塁打で野球人生を切り開いていく。

【文責:週刊ベースボール】