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【球跡巡り・第55回】若き獅子たちが技を磨き ジョー・ディマジオも訪れた 香椎球場

 福岡市内唯一の遊園地として市民から親しまれていた「かしいかえん」が、2021年暮れに惜しまれつつ閉園。80余年の歴史に幕を閉じました。遊園地の一角には長さ100メートルほどの曲線状の斜面と、コンクリートの外壁があり、わずかに野球場の面影を残します。ここにはかつて、西鉄の二軍本拠地として若き獅子たちも白球を追った香椎球場があったのです。

 かしいかえんを運営していた西日本鉄道の前身の一つ、博多湾鉄道汽船が1941年夏に開設。当時、本格的な野球場がなかった福岡市にとって1万9000人収容のスタンドを備えた新球場の誕生は大きな話題でした。地元の福岡日日新聞は「球場の少ない福岡地方にとって、またひとつの名所ができる」と完成間近い球場を写真入りで伝えています。

 福岡県のプロ野球史はここから始まりました。終戦翌年の1946年、関西のメイン球場だった西宮を夏の一時期、全国中等学校野球大会開催のために明け渡します。グレートリング、阪急、ゴールドスター、中部日本の4球団は、プロ野球として初めて関門海峡を渡り九州の地を踏みました。8月16日に熊本水前寺球場で変則ダブルヘッダーを興行した後、福岡へ。翌17日に行われた中部日本対ゴールドスターが県下初のプロ野球公式戦で、第2試合のグレートリング対阪急と合わせて1万8000人の観衆でにぎわいました。

 西鉄ライオンズ発足後は、球場の正面スタンド裏に合宿所が建てられ、二軍本拠地として使用されました。新香椎駅近くに住む藤野庫充(くらみつ)さん(73)は、実家が醤油屋を営んでいて、醤油や味噌を配達する父に連れられ合宿所へ行きました。「選手から折れたバットをもらって針金を巻いて使いました。グリップに「5」と「6」の番号が書いてあったのを覚えています」と少年時代を懐かしみます。

 地元青年団の地域対抗野球大会も香椎球場で行われましたが、プレーした入江英夫さん(81)には西鉄関係者との思い出が残ります。「二軍監督の重松(通雄)さんや、二軍時代の若生(忠男)さんが、時間がある時は審判をやってくださり、野球も教えてくださいました。地元の若者たちをファンとして取り込もうとしたのでしょうね。」東京、大阪が今よりはるかに遠く感じられた時代。1956年から3年連続巨人を破り日本一となり全国に存在感を示した西鉄でしたが、ファームは地域密着で地道にファンと触れ合っていたのです。

 若生はその後一軍へ羽ばたき、4度の二ケタ勝利を挙げるなど西鉄で102勝。その他に1956年から4連連続二ケタ勝利の島原幸雄、「アベボール」と言われた独特の変化球で日本シリーズでも活躍した安部和春など、香椎から育った若者が西鉄黄金期の一角を形成しました。

 このグラウンドには米大リーグのスーパースターも足を踏み入れています。ジョー・ディマジオ。ヤンキース時代に56試合連続安打の大リーグ記録を達成し、1951年に現役を引退したディマジオは、1954年1月に人気女優のマリリン・モンローと電撃結婚しました。2月に新婚旅行とセ・リーグ選手への臨時コーチを兼ねて来日。9、10日の2日間、国鉄、洋松の選手ら14人に打撃指導を行ったのです。

 上下背広に革靴姿のディマジオは自らバッティングを披露し、手本を見せました。国鉄から参加の町田行彦外野手は「まき割りをするように上から振りなさい」の指導が奏功し、同年レギュラーに定着すると、翌1955年は31本塁打で初のタイトルを獲得。西鉄から特別参加し指導を受けた河野昭修内野手は「教え方が上手でね。ちゃんとした打ち方をすればMOON(月)まで飛ぶよ」とアドバイスを受けた、と生前語っています。その河野は前年までの2年間で本塁打は1本だけでしたが、この年は一気に13本塁打と長打力が開花。ライオンズのリーグ初優勝に貢献しました。

 残念ながらモンローは香椎球場へは同行しませんでしたが、世紀のビッグカップルが福岡を訪れたことは地元の人々にはかけがいのない思い出です。前出の藤野さんが館長を務める香椎公民館には、いまも仲睦まじい二人の写真がたくさん残されていました。

 閉園された遊園地の跡地は2023年度以降に再開発される予定です。若き獅子たちが技を磨き、米大リーグの強打者がその名を残す福岡野球の聖地。“球場遺跡”である一塁側内野スタンドの一部とみられる外壁は、永遠に残してほしいと願います。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・入江英夫さん
藤野庫充さん
参考文献・福岡日日新聞(1941年7月28日)
読売新聞「追憶の舞台」(2009年9月6日)
西日本新聞(2021年12月26日)