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【球跡巡り・第57回】雪国の小さな鉄道会社が運営した野球場 長岡球場

 市の中央を信濃川が南北にゆったりと流れる新潟県長岡市。夏の夜空を彩る長岡まつり大花火大会は、日本三大花火大会としても知られます。JR長岡駅から東へ3キロほどの悠久山地区には公園やプール、野球場などがあり市民が集う場になっています。

 その長岡悠久山野球場は1967年に開場し、今も球史を紡いでいます。イチロー(オリックス)がまだ本名の鈴木一朗だった1993年に、近鉄の野茂英雄投手からプロ入り初本塁打を放ったことでも知られますが、その隣接地には1949年から10年ほど存在した長岡球場がありました。

 開場は1949年8月。古志郡栃尾町(現栃尾市)から長岡駅を経由して古志郡栖吉村(現長岡市悠久町)まで軽便鉄道を運行していた栃尾鉄道が、南側の終点にあたる悠久山駅前に建造しました。目的は観客誘致による運賃収入の増大で、すでに運営していた悠久山プールの改修も同時期に行っています。

 8月5日のこけら落としにはオール桐生(群馬)や川崎いすゞ(神奈川)など、当時の社会人野球の強豪チームを招待しトーナメント大会を実施。そして翌1950年、中越地方では初となるプロ野球公式戦、毎日対東急を興行しました。当初は6月5日に予定されていましたが、あいにくの天気で雨天中止になると、7月10日に急遽試合を組み入れての開催でした。

 両チームとも試合当日の午前4時20分に夜行列車で長岡駅到着というハードな日程。「選手らはすぐに駅前旅館に入り、午前11時過ぎまでぐっすり寝込んだ」と地元紙の北越新報が動向を伝えています。そして午後1時30分に球場入りすると、3時17分試合開始。早朝から栃尾鉄道に乗って来場し、午前9時の開門と同時にスタンドをほぼ埋めたファンのお目当ては、一リーグ時代の1946年に戦後初の本塁打王に輝いた“青バット”の大下弘(東急)外野手でした。

 ケガで戦列を離れていたこともあり、5月19日の阪急戦以降2か月近く本塁打の出ていない大下でしたが、この試合「三番センター」で出場すると、3回表の第2打席に毎日の上野重雄投手から右中間最深部へ飛距離420フィート(約128メートル)の大アーチ。9回には中前安打で出塁すると、すかさず二塁盗塁。当時テレビは普及しておらず、ラジオを通してのヒーローだった大下の雄姿に、多くの野球ファンが魅了されたことでしょう。

 市内在住の反町代志さん(77)には、小学生のころの記憶が鮮明に残ります。「あの場所には野球場やプールの他に、ローラースケート場もありました。電車の往復切符を買ってプールに行くと無料で入れましたね。それだけ電車を使ってほしかったのでしょう。そうそう、球場近くの広場に土俵を造って大相撲の巡業も行っていましたよ」。プロ野球と大相撲。戦後の復興期、大衆の間で人気を博しつつあった二大スポーツの開催からも、栃尾鉄道が積極的に誘客策を実施したことが伺えます。

 1950年から1955年の間にプロ野球を10試合(セ8、パ2)行い、平均5000人ほどの観衆を集めました。ところが社名を栃尾電鉄に変更した1956年以降は開催が途絶えます。そして1960年に長岡鉄道、中越自動車との3社合併により「越後交通」になると、経営方針もあり球場の閉鎖を余儀なくされました。厳しい気象状況で1年の半分近くグラウンドが雪に覆われるハンディキャップは、経営面に重くのしかかったのでしょう。

 1936年にNPBの前身である日本野球連盟が結成されて以来、野球と鉄道は切っても切れないつながりがあります。二リーグ制になった1950年には15チーム中、実に7チームが鉄道系でした。まさに鉄道会社が日本のプロ野球界をけん引していました。同時期に、10年ほどの短命で消えたとはいえ、地方都市の営業距離わずか26.5kmの小さな鉄道会社が所有し、運営していた球場があったことも後世に伝えたい史実です。

 跡地には県営の長岡水泳競技場が造られました。1964年に開催された新潟国体夏季大会では水泳会場になっていましたが、6月16日に発生した新潟地震(マグニチュード7.5)の影響で中止になりました。そのプールも老朽化で2008年に閉鎖され、今は1994年に建設された屋内温水プールに市民が集い、にぎわっています。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・反町代志さん
長岡市立中央図書館
参考文献・北越新報(1950年7月11日)