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【球跡巡り・第59回】「26対0」と「両チームで14失策」が記録された 高岡工専グラウンド

 1936年に公式戦を開始したプロ野球が富山県に足を踏み入れたのは戦後の1946年でした。7月13、14日の両日、石川県金沢市の公設グラウンドで試合を行った、ゴールドスター、グレートリング、阪神、セネタースの4球団が翌15日に富山県高岡市へ。市内古定塚(現中川園町)の高岡工業専門学校グラウンドで変則ダブルヘッダーを興行。これが富山県における初の公式戦でした。

 金沢市の会場は陸上競技場を転用した代用球場で、観衆も1試合平均3500人と不入りでした。やや肩を落として国鉄高岡駅に到着した選手たちでしたが、改札口には若い女性がたくさん集まっていて大喜び。絶大な人気を誇る大下弘(セネタース)がいるからだ…と誰もが思いましたが、振り向いてもくれません。彼女たちの目的は日本映画界を代表する二枚目スター・上原謙の出迎えだったのです。

 学校の校庭に着くと再び落胆しました。ダイヤモンドは1周400メートルのトラックの内側に作られ、外野にフェンスはなくロープが簡易的に張られただけ。グラウンドには夏草が生い茂り、外野付近はボールを見失いそうな高さまで伸びていました。係員や連盟職員はもちろん審判員まで駆り出され、草を抜き、内野の小石を拾っていたのです。

 この年の4月27日に8球団で戦後の再スタートを切ったプロ野球。戦災や進駐軍の接収により、使用できる球場は後楽園と西宮だけ。都市対抗野球や中等学校野球大会開催中は球場を明け渡し、地方行脚を余儀なくされました。戦後の食糧難を鑑みれば、地方遠征では会場の施設うんぬんより食糧確保が先決で、「陸上競技場の代用」や「校庭でのプロ野球」も致し方なかったのです。

 そんな背景もあり、この日のダブルヘッダーは球史に残るゲームとなりました。

 13時開始のグレートリング対ゴールドスター戦は、グレートリング先発の別所昭投手がゴールドスター打線を被安打7で完封。一方のグレートリング打線は7回途中までに相手先発の江田孝投手から14点を奪いKOすると、8回には代わった内藤幸三投手から一挙12得点。26対0の大差は今も「最多得点差完封試合」のプロ野球記録で、2005年にロッテが楽天相手に同じスコアで勝利するまで唯一でした。また、グレートリング打線は毎回安打に全員安打、全員得点と三拍子そろったプロ野球唯一の記録も作りました。こんな乱戦でも試合は14時40分に終了。試合時間わずか1時間40分ですから驚きです。

 35分後に始まった第2試合のセネタース対阪神戦では、校庭での試合ならではの本塁打が記録されました。6回表、2死一・三塁のチャンスに阪神の四番本堂保次は左中間へ大飛球を放ちます。この打球をレフトの大下弘は好捕しましたが、フェンス代わりに張られていたロープをまたいでいたため、審判により本塁打と判定されたのです。この試合を14対10で辛勝した阪神にとって、貴重な本堂の“認定3ラン”でした。

 小石が散らばり、整備も行き届いていないグラウンドはミスの応酬にもなりました。阪神が初回の守りで2死から3打球を続けて内野手が失策するなど、計8失策。一方のセネタースも内野手がゴロを4つはじくなど6失策を犯し、両チーム合計でプロ野球ワースト新の14失策を記録。人工芝の出現や全体的な守備力の向上を考慮すると、今後も更新されることのない数字でしょう。

 前掲の航空写真は試合の1週間後に撮影されたものです。400メートルトラックの片隅に引かれた一塁と三塁のファウルラインがはっきりと確認できます。上空からでもわかるフェア地域の色の濃淡から、グラウンドが劣悪だったことも推測できます。球場難と食糧難に悩まされた終戦直後のプロ野球。残された不名誉な記録は、このような環境下でも球史を紡いだ先輩たちの証でもあるのです。

 結局、このグラウンドでプロ野球が行われたのは1日だけでした。その後、富山県でのプロ野球は富山神通、県営富山と繋がれ、今は富山市民球場(アルペンスタジアム)で開催されています。高岡工業専門学校は1949年に新制富山大学に包括され、工学部となり校地も継承されました。その後、同学部が富山市内へ移ると、跡地には1988年に県立高岡高校が移転して来ました。プロ野球が行われたグラウンドは、同校野球部の練習場として今も使用されています。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・富山県立高岡高等高校
高岡市立図書館
参考文献・「野球と戦争」山室寛之