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【球跡巡り・第75回】長嶋茂雄(巨人)が弾丸ライナーで“プロ初本塁打”を放った 高松市立中央球場

 四国の玄関口と言われる香川県高松市。中心部にある市役所の向かい側には緑豊かな中央公園が広がります。ここには1980年代の前半まで、香川県の球史を刻んだ高松市立中央球場がありました。

 第二次世界大戦末期、1945年7月4日のアメリカ軍による空襲で市街地の約80%が焦土と化した高松市。戦後の戦災復興区画事業では、市役所南側に都市公園を造る計画でした。ところが、当時の鈴木義伸市長は「混乱した世相の中で市民の心の安定を図るには、スポーツの振興が近道である」と、この場所に野球場を建設する決断をしました。

 1946年12月に着工。球場の建設資材は野球関係者の働きかけで、内野の土の下に敷き詰める石炭殻は四国鉄道局から、バックネットの支柱は琴平電鉄から寄贈され、地元の中等学校の野球部員や高松刑務所の受刑者らの勤労奉仕によって1947年5月に完成。市街地の狭い敷地に造られたことから当初は外野スタンドがなく、広さも両翼91.4メートル、中堅103.7メートルと小さな野球場でした。(後年、外野の一部にもスタンドを設置)

 プロ野球は1949年4月5日に県下初の公式戦となる阪急対南海を開催したのをはじめとして、1970年までに10試合を行いました。また、温暖な気候から二リーグ分立後は春季キャンプ地として重宝され、1951年の巨人を皮切りに、阪急(現オリックス)、東映(現日本ハム)と3チームが計7度この地で1年のスタートを切りました。

 1958年春、東京六大学のスター選手だった長嶋茂雄内野手の入団でにぎわう巨人は、一次キャンプ地の明石公園野球場から2月22日に高松へ移動。翌23日からこの球場で二次キャンプを張りました。期待の新人長嶋のプレーに小さなスタンドを埋めた地元ファンが沸きました。その長嶋が衝撃の一打を放ったのは、キャンプに引き続き行われた阪急とのオープン戦でした。

 最高気温は11.2度まで上がるも、20メートルを超す強風が吹き荒れた3月2日。二番サードで出場した長嶋は、9回表の5打席目に森口哲夫投手からレフトスタンドへライナーで本塁打を放ちました。長嶋にとってこれが記念すべき“プロ初本塁打”だったのです。

 この試合をスタンドで観戦していたのは、のちに阪急で活躍することになる当時中学3年生だった山口富士雄さん(81)です。「どうやってチケットを手に入れたかは覚えていませんが、三塁側スタンドで見ていました。長嶋さんのホームランはレフトへ低い弾道の凄い打球でした。まさに弾丸ライナーでしたね」。翌日の報知新聞も「左翼スタンドへ突き刺さるようなライナーの本塁打」と報じた一打は、66年経った今も脳裏に焼き付いています。山口さんにとってこの球場は高松商業1年の夏に甲子園出場を決め(記念大会で1県1校が出場)、プロ入り後はオープン戦で凱旋プレーもした晴れ舞台。それでも真っ先に浮かぶのは長嶋さんのホームランだと言います。

 高校を卒業した山口さんは奇しくも長嶋さんと同じ立教大に進学。その後阪急入りし、1967年からパ・リーグ3連覇。巨人と日本シリーズで対峙しました。「大学で同期だった土井(正三)が紹介してくれました。高松の球場で見た時と同じで、色白でカッコよかった。恐れ多くて高松のホームランを見ていたことは言えませんでしたね」。15歳の春の思い出は、憧れの大先輩に伝えることなく今も大切に胸中にしまっています。

 高松といえば、西鉄で活躍した中西太内野手の故郷でもあります。高松一高時代に甲子園大会で2本のランニング本塁打を記録した“怪童”は、西鉄入団が決まると、学校が終わってからこっそりこの球場に忍び込み、真っ暗なグラウンドをランニングしたと伝わります。プロ野球では入団直後の1952年6月14日の近鉄戦で凱旋し、2回裏に決勝二塁打を放ち勝利に貢献。翌1953年5月31日の近鉄戦では7回裏に勝利を決定付ける2ラン本塁打と、2年連続で故郷に錦を飾りました。

 中西さんは昨年5月11日、心不全のためこの世を去りました。享年90。前出の山口さんは現役時代から中西さんと親交があり、出身高校は違っても高松の後輩としてかわいがられました。「あの人のようにはなりたいと言ってもなれない。ただただ、憧れの人でした」。11月3日、高松でのお別れ会開催にも尽力。「地元の野球界にとっても大変な功績があった人です。(球場跡地の)中央公園に是非中西さんの銅像を作ってほしいと、県や市に懇願しているところです」。

 1982年に閉鎖された野球場の跡地に整備されたその中央公園には、ともに香川県出身でプロ野球創成期のスター選手であり、名将としても名を馳せた水原茂三原脩の銅像が並んで屹立(きつりつ)しています。1956年から3年連続で西鉄と巨人の監督として日本シリーズを戦った二人。中西さんはその名勝負に主力選手として参戦しました。両雄のそばに、中西さんの銅像が建てられる日を心待ちにしています。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・山口富士雄さん
高松市役所
野球殿堂博物館