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【球跡巡り・第92回】“霧ヒット”を生んだプロ野球開催最東端の街 釧路市営球場

「霧の街」として知られる北海道釧路市。訪れた7月中旬の朝も乳白色のもやがかかり、街は海霧につつまれていました。平年の年間霧日数が100日近くになる霧の広野は、プロ野球一軍戦を開催した最東端の街でもあります。JR釧路駅前の大通りから幣舞(ぬさまい)橋を渡り出世坂を上った小高い丘の上に、1949年11月開場で市民から富士見球場の愛称で親しまれた釧路市営球場がありました。

 一軍戦は二リーグ分立直後の1950年代前半にパ・リーグ公式戦を2試合行っています。初開催は1950年で、7月30日に釧路新聞社の主催で毎日対大映16回戦を挙行。大映の先発は姫野好治投手でしたが、1回裏に二死から5連打を浴び続く打者に四球を与えると、藤本定義監督は早くも投手交代を決断。救援したのは旭川市で幼少期から旧制中学までを過ごし、日米野球でも名を知らしめた郷土の英雄・スタルヒン投手でした。

 これにはスタンドを埋めた観衆も大喝采。奮起した大映打線は0対5のビハインドから8回までに6対9と追い上げ、9回表に3点を取って同点に。その後延長12回まで戦いましたが白黒は着かず、規定により9対9で引き分けの好ゲーム。スタルヒンは最後までマウンドに立ち続け138球の熱投でした。

 今年4月に96歳で逝去した元日本テレビアナウンサーの越智正典さんは、大学卒業後の1950年NHKに入局し札幌局へ配属。51年からは釧路放送局に勤務しました。私は生前の越智さんから球場の思い出話を多く聞きました。

「市営球場のセンターの後ろは海なんですよ。夏になると球場にはよく霧がかかっていました。夏の高校野球大会で行ったラジオの実況が忘れられません。
『打ち上げました。打球はライトへ。あっ、海霧で見えません。しばらくおまちください…。赤いランプが灯りました。ライトが捕った模様です。アウトです』
野球ファンは霧の中で判定する審判を“霧審判”と呼んで敬意を表していましたね」。

 日本テレビが1953年に開局すると転職し、59年には巨人対阪神の天覧試合を実況。戦後日本を代表するスポーツアナウンサーとして活躍しましたが、その原風景には海霧につつまれた釧路市営球場がありました。

「野球場がある場所は霧の通り道なのです。海からの霧が外野方向から流れて来ました」と振り返るのは釧路軟式野球連盟理事長の工藤幸栄(こうえい)さん(59)です。小学生の頃から市営球場でプレーをし、高校3年生の夏の大会は予選で敗れ悔し涙を流しました。社会人になってからの早朝野球では特に霧の中でのプレーが多かったと言います。

「打席に入るとセンターの人が微かにしか見えないこともありました。霧のおかげで凡フライを野手が見失いヒットになったことも何度かありました。我々は“霧ヒット”と言ってましたね」。イレギュラーヒット、太陽ヒット、照明ヒット、風ヒット。様々なラッキー安打がありますが、霧ヒットの生まれる野球場は多くないでしょう。

 早朝野球は出勤前に行われ、時間の制約があるため簡単にプレーの中断はできません。「霧のお陰で勝ったこともありましたし、その逆もありました」と苦笑いし、「霧には濃淡があります。急に深くなったり、すっと消えて明るくなったり。まさに自然の中で野球をやっている感覚でしたね」と懐かしみました。

 市営球場は1983年に市内広里に釧路市民球場(ウインドヒルひがし北海道スタジアム)が完成するとメイン球場としての役目を終え、その後は軟式野球や高校野球の練習場として重宝されました。しかし、完成から70年が経った令和を迎えると老朽化が顕著となり2020年3月末で閉鎖。工藤さんはこの時、市職員としてその業務に携わりました。「私は市営球場を高校野球の地区予選で使用した最後の年代でした。その私が閉場に関わったことは運命を感じました」と振り返ります。

 球場はその後も取り壊されることなく現存しています。これは全国的にも珍しく、校庭のグラウンドを除くと2年前に閉鎖の岩手県営と盛岡市営の2球場だけです。市教育委員会に勤務する阿部遥樹さん(26)の案内で球場を訪ねました。

 錆びついた外野の入場門に閉鎖からの歳月を感じます。腰の高さほどに生い茂った雑草をかき分けて足を踏み入れたグラウンドにも多くの雑草が。マウンド周辺も荒れていましたが、確かに75年前この場所でスタルヒンが躍動し道東の野球ファンを魅了したと思うと身震いがしました。帰り際、一塁側スタンド付近に茶色の動物が見えました。「キタキツネですよ」と阿部さん。かつての戦いの舞台は野生動物の住み家になっていました。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・工藤幸栄さん
阿部遥樹さん